サッカーも中田英寿、本田圭佑ら多くの選手が、ヨーロッパの名門クラブで活躍した。バスケットボールも最高峰のNBAで、八村塁や渡邊雄太が頑張っている。
千葉真一がハリウッドで痛感した“最大のハードル”
それに比べると、映画俳優の海外進出は、ずいぶん見劣りがする。古くは三船敏郎さん、丹波哲郎さん、そして高倉健さんらがアメリカやヨーロッパの映画に出たが、主演ではなかった。しかも、現地に拠点を置いて俳優活動を継続するまでには至らなかった。
だからこそ、私は無謀を承知でハリウッドに乗り込んだのだ。しかし、待っていたのは茨の道だった。最大のハードルは英語力だ。現地の英語教師にマンツーマンでレッスンを受け、家の壁という壁に英単語や英語のフレーズを書いた紙を貼って勉強したが、限界はあった。日常会話レベルの英語はマスターできても、日本語をしゃべるように英語を操ることはできないのだ。
オファーのある役と言ったら、日本人か日系人。私自身は日本人以外のフィリピンや韓国などのアジア人の役を演じてみたかったのだが、そんなオファーも一切なかった。
余談だが、私は日焼けした顔にひげを生やしていると、よくメキシコ人に間違えられたものだ。
メキシコは大好きな国だし、一度でいいからメキシコ人の役もやってみたかった。
私の後輩の真田広之などもハリウッドに活動の拠点を移し、かなりのレベルまで英語が上達した。しかし、それでも日本人訛りは出てしまう。若い頃から英語が堪能だった高倉健さんでさえそうだ。
そこへいくと、真剣佑と郷敦は頼もしい。なにしろアメリカで生まれ、アメリカでずっと育ったから、英語で苦労することはまるでない。日本で暮らし始めるまでは日本語の読み書きのほうが拙かった。特に真剣佑は高校までは向こうだったため、役者になった当初は日本語で書かれた脚本を読み込むのに苦労した。分からない漢字にルビを振り、繰り返し読んでいる姿を何度も見た。
数年前、ロサンゼルスのレストランに家族で入ったとき、こんなことがあった。
真剣佑と郷敦に目指してほしい役者像
「真剣佑も郷敦も好きなものを、どんどん食べろ。パパが注文するから」
そう言うと、真剣佑が、
「注文は、ぼくらがするよ。で、パパは何にする?」
と、楽しそうに笑った。私が注文したら、違うものが出てきそうだとでも言いたそうな顔だった。
どうやら息子たちの耳には、私の英語はドンくさく聞こえるらしい。父親としては形なしである。
2人とも図らずも日本でデビューすることになったわけだが、私は日本とアメリカの双方で通用する役者となってほしいと考えてきたし、本人たちも、その覚悟のはずである。