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「パンツを投げ捨てることをしないあたりに…」

 同じ中野区鷺宮に住み、長年の飲み仲間でもあった米長との「阿吽の呼吸」で撮影された1枚は、前述の通り『FOCUS』に採用された。陽動作戦が功を奏したのか、米長は直後に始まった十段戦で中原を退け、タイトルを防衛している。

「よく見ると、米長さんは手にパンツを持っている。業界で“キヤウジン”と呼ばれた米長さんですが、パンツを投げ捨てることをしないあたりに棋士らしい緻密な一面を感じます」

米長邦雄氏 ©弦巻勝

 いまの時代、タイトル戦線で活躍するトップ棋士が同じことをしたら、大炎上は確実と思われる。だが、このときは物議を醸したものの、特に将棋連盟からお咎めを受けることもなかった。冒頭の都教育委員の一件は、最終的に民主党(当時)と共産党が「教育委員にふさわしくない」と反対したものの、自民、公明などの賛成多数で任命が認められている。

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「敵も味方も多い人でしたが、僕とは最後まで付き合いが続きました。米長さんのような、常識のものさしではかることのできない人間が生きることを許された世界――それがかつての将棋界だったのかなと思います」

「パウロ先生(加藤)なら明日、イグナチオ教会に必ず来るよ」

 米長と同時代を生き、「ひふみん」の愛称で一般層にも高い知名度を誇る加藤一二三・九段(83)。敬虔なクリスチャンと知られる加藤も、将棋界に数々の「伝説」を残し、現在将棋界の第一人者として活躍する藤井聡太の「デビュー戦」の相手をつとめた。

 四谷の聖イグナチオ教会で、主に祈りを捧げる加藤一二三。この写真は加藤がライバル・中原誠を破り悲願の名人位を奪取した1982年に撮影された。

四谷の聖イグナチオ教会で祈る加藤一二三氏 ©弦巻勝

 中学生でプロデビューを果たし、“神武以来の天才”と呼ばれた加藤だが、最高位の名人には手が届かないまま、40歳を過ぎていた。この年、久しぶりに名人挑戦権を獲得した加藤のプライベートな写真を撮影すべく、弦巻氏は親しい米長に相談したという。

「ヨネさん、加藤先生を撮るにはどうしたらいい?」

 他の棋士とは違い、飲み歩いたり麻雀をしたりすることのない加藤は、対局時以外の写真がほとんど撮影されたことがない。

 米長は即座に「読み」を披露した。

「パウロ先生(加藤)なら明日、イグナチオ教会に必ず来るよ。土手のところで待っていれば確実に撮れる」

 果たして翌朝、加藤は教会に姿を現した。

「先生!」

 弦巻氏が土手の上から手を振ると、加藤も気づいて手を振って笑った。