将棋界の現役最年長棋士、桐山清澄九段(74)が最後の公式戦を迎える。竜王戦5組残留決定戦、畠山鎮八段戦。なお、桐山はこの一局の勝ち負けにかかわらず、すでに引退することが決まっている。
タイトル4期・順位戦A級通算14期在籍の実績を持つ“いぶし銀”桐山の歩みについて、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)から一部を抜粋して紹介する。
髭を生やした異様な迫力の男が座っていた
1956年6月10日、奈良県下市町。
「清澄!」探しにきた母親が手を引き、「将棋のえらい先生が来ているから、一緒にこうね」と言う。泥だらけになって遊んでいた服をよそ行きに着替えさせられ、町にある宅田旅館に連れて行かれた。桐山清澄が小学3年、8歳のときである。新聞によく出ている有名な棋士が来ていて、教えてくれるらしい。
旅館の奥の部屋に通された。脚付きの将棋盤の向かいに、髭を生やした異様な迫力の男が座っていた。町で指している大人たちとは全然雰囲気が違う。清澄は自分より大きな座布団に座らされ、緊張からピンと背筋が伸びた。手合いは四枚落ち。ほとんど何も話さなかった。舞い上がるような気持ちで、どんな将棋だったかも覚えていない。多分、いいところなく負けたのだと思う。
少年が対局した棋士は、升田幸三だった。このとき王将のタイトルを保持し、翌年には九段と名人を獲得して史上初の三冠王になる。まさに鬼神の如き強さを誇っていた。升田は帰りがけに母親に「この子が棋士を志すなら、うちに来てもいい」と告げた。
新聞に「大棋士の元に弟子入り」と報じられた
下市町は、近鉄吉野線で吉野へと向かう手前にある。古くは商都として栄えた。いまは大阪・高槻に住む桐山にとって忘れ難い故郷だ。
升田がこの地を訪れたのは、妻の実家が隣町の大淀町にあったためである。桐山との対局が行われた宅田旅館の館主は升田と懇意にしていた。旅館は長い歴史を持ち、谷崎潤一郎や吉川英治など多くの文人たちも訪れている。
桐山は帰宅した後に、母親から内弟子の話を聞かされる。
「当時は棋士になるということも、東京に行くことがどんなもんかも、何もわからんかったですよ。ただ将棋が思いっきり指せるなら、楽しいだろうなと」
上京は転校のことも考えて4年生になる新学期からに決まった。産経新聞の県内版に「大棋士の元に弟子入り」と報じられた。升田の人気、知名度は高く、下市町では大きなニュースになった。
「“銀河”という夜行列車に乗って、両親と一緒に東京に向かいました。駅に同級生たちが見送りにきてくれて、華々しく故郷を後にしたんです」