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現役最年長棋士、引退へ 桐山清澄九段74歳を育てた「二人の師匠」とは

現役最年長棋士、引退へ 桐山清澄九段74歳を育てた「二人の師匠」とは

『絆―棋士たち 師弟の物語』より

2022/04/26
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 将棋界の現役最年長棋士、桐山清澄九段(74)が最後の公式戦を迎える。竜王戦5組残留決定戦、畠山鎮八段戦。なお、桐山はこの一局の勝ち負けにかかわらず、すでに引退することが決まっている。

 タイトル4期・順位戦A級通算14期在籍の実績を持つ“いぶし銀”桐山の歩みについて、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)から一部を抜粋して紹介する。

髭を生やした異様な迫力の男が座っていた

 1956年6月10日、奈良県下市町。

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「清澄!」探しにきた母親が手を引き、「将棋のえらい先生が来ているから、一緒にこうね」と言う。泥だらけになって遊んでいた服をよそ行きに着替えさせられ、町にある宅田旅館に連れて行かれた。桐山清澄が小学3年、8歳のときである。新聞によく出ている有名な棋士が来ていて、教えてくれるらしい。

4月27日、最後の対局を行う桐山清澄九段

 旅館の奥の部屋に通された。脚付きの将棋盤の向かいに、髭を生やした異様な迫力の男が座っていた。町で指している大人たちとは全然雰囲気が違う。清澄は自分より大きな座布団に座らされ、緊張からピンと背筋が伸びた。手合いは四枚落ち。ほとんど何も話さなかった。舞い上がるような気持ちで、どんな将棋だったかも覚えていない。多分、いいところなく負けたのだと思う。

 少年が対局した棋士は、升田幸三だった。このとき王将のタイトルを保持し、翌年には九段と名人を獲得して史上初の三冠王になる。まさに鬼神の如き強さを誇っていた。升田は帰りがけに母親に「この子が棋士を志すなら、うちに来てもいい」と告げた。

すでにトップ棋士となっていた升田幸三実力制第四代名人と将棋を指す桐山少年

新聞に「大棋士の元に弟子入り」と報じられた

 下市町は、近鉄吉野線で吉野へと向かう手前にある。古くは商都として栄えた。いまは大阪・高槻に住む桐山にとって忘れ難い故郷だ。

 升田がこの地を訪れたのは、妻の実家が隣町の大淀町にあったためである。桐山との対局が行われた宅田旅館の館主は升田と懇意にしていた。旅館は長い歴史を持ち、谷崎潤一郎や吉川英治など多くの文人たちも訪れている。

 桐山は帰宅した後に、母親から内弟子の話を聞かされる。

「当時は棋士になるということも、東京に行くことがどんなもんかも、何もわからんかったですよ。ただ将棋が思いっきり指せるなら、楽しいだろうなと」

 上京は転校のことも考えて4年生になる新学期からに決まった。産経新聞の県内版に「大棋士の元に弟子入り」と報じられた。升田の人気、知名度は高く、下市町では大きなニュースになった。

「“銀河”という夜行列車に乗って、両親と一緒に東京に向かいました。駅に同級生たちが見送りにきてくれて、華々しく故郷を後にしたんです」