将棋界における師匠と弟子の関係性が注目を集めている。スポットライトが当たったのは、のちに将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞した『師弟 棋士たち魂の伝承』(野澤亘伸著/光文社)の存在が大きかっただろうか。

 現在、ABEMA将棋チャンネルでは「第1回ABEMA師弟トーナメント」が放送されている。そこで、同トーナメントにも出場している深浦康市九段と佐々木大地五段について、『師弟』から一部を抜粋して紹介する。

 

佐々木は命を懸けても棋士になる夢を叶えたかった

 2006年秋の福岡空港。父親と一緒に現れた少年を見て、深浦康市は驚いた。年齢は11歳と聞いていた。細身だが背の高い少年は、がっしりとした父親と一緒に現れた。だが鼻からはチューブを通され酸素ボンベのような器具を引いている。聞けば心臓の病気を患っているという。空港内の喫茶店に入ると、父・靖美は息子のこれまでの経緯を深浦に話し始めた。

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「息子は9歳のときに『拡張型心筋症』を発症しました。死の危険もあり心臓移植も検討したのですが、現在は医者からは奇跡といわれた回復を見せています。将棋がこの子の支えとなっています。私は息子の棋士になりたいという夢を叶えてあげたいのです」

 父は深浦に何度も訴えた。「責任はすべて私が持ちます。お願いします、息子を弟子にしてやってください」。

『師弟 棋士たち魂の伝承』(光文社)

 深浦は思いを巡らせていた。佐々木の棋力は、間を取り持ったアマ強豪の人から聞いていた。長崎県の離島・対馬に住みながら小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝している。実績からも素質は十分にあるだろう。だが、プロの世界で勝ち抜くには、想像以上に体力がいる。精神、肉体への負担は計り知れない。それ以前に、今の体で奨励会での過酷な歳月に耐えることができるのか。

 佐々木大地は、父と深浦が話しているのを聞いていた。どんな話だったかは覚えていない。タイトル戦に出る棋士を間近に見て、「凄い先生なんだな」と思っていた。

 父・靖美は「大地は助からないと思った命を長らえた。だから必ず棋士になれる」、そう信じていた。

 深浦は、兄弟子の森下卓にこのことを相談した。森下は一門の師・花村元司が亡くなってから師匠代わりとして奨励会時代の深浦の面倒を見た。森下は「君の中に同情心があるのなら、弟子にするのはやめるべきだ」と助言した。