「師匠がもう一度と言うなら、やってもいいと思っていました」
佐々木は入会から5年で三段になった。三段は半年で1期のリーグ戦になり、三十数人の中から一期に上位2人しか四段にはなれない。年に4人の狭き門である。ただ3位になった者には次点がつき、次点2回でフリークラスでの四段昇段が認められる。フリークラスとは、棋士のランク付けである順位戦への参加資格がない状態をいう。規定の成績を収めれば、翌年より資格を得る。佐々木は5期目に2度目の次点を取った。行使すれば四段になることができる。20歳のときだ。
それを知った兄弟子の森下は、落ち着かなかった。
「深浦は、根性を入れてもう一度三段リーグをやり直せと言うかもしれない」
奨励会において、四段昇段は本人だけでなく家族にとっても悲願である。佐々木は入会からここまで7年半を要していた。年齢制限まではまだ余裕があるとしても、四段になれるチャンスを見逃すべきでない。過去にフリークラスを蹴って上位2名の規定で昇段したのは、佐藤天彦九段だけである。
三段リーグ最終日の翌朝、深浦の携帯に森下から電話があった。「佐々木君を四段にしてあげてくれ。もう一度三段からやり直せなんて可哀想だ」。森下の懇願に、深浦は「僕は佐々木の意思に任せていますので、本人がフリークラスを希望すれば昇段させるつもりです」、そう答えた。
一方の佐々木は、「師匠がもう一度と言うなら、やってもいいと思っていました」という。父・靖美も「深浦先生にお預けしたときに、すべて先生の言葉に従わせるつもりでした。もう一度と言われるなら、それでいいと思っていました。大地は必ず四段になれると信じていましたから」。なんとも根性の据わった弟子と家族である。
深浦は言う。
「ご両親の覚悟には頭が下がる思いでした。佐々木のためには、環境を早く変えた方がよいと思っていました。奨励会の先が見えない状況にあるのと、1局で何十万円かもらえるプロの世界ではモチベーションが違うからです」
2016年4月1日付けで、佐々木はフリークラスでの新四段になった。師の期待に応えるように、デビューから10ヶ月で規定を満たす勝利数・勝率を挙げ、翌年度からの順位戦参加資格を得た。フリークラスを初年度で突破したのは、佐々木が初であった。同年の第2期叡王戦予選では、全四段棋士の中で1位になり、本戦トーナメント出場を果たした。
写真=野澤亘伸
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深浦康市九段と佐々木大地五段の物語は、『師弟 棋士たち魂の伝承』で全文が読める。また、のちに将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞した同書には、計6組の師弟が登場する。
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