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やる気を起こさせたのは激励の言葉より高級ステーキ

 6年生になった頃には、酸素ボンベによる呼吸補助をつけなくても外出できるようになった。それでも数種類の薬を飲み続ける必要があった。拡張型心筋症は現在でも不明な点が多く、子どもの場合、多くは重症化する傾向がある。ただし初期段階に適切な治療を施した場合、治癒する可能性があることも確認されている。

 

 奨励会の入会試験は、中学1年の8月に受けることになっていた。佐々木は試験の前に1局だけ深浦に将棋を指してもらった。

「師匠とは力の差がありすぎて、勝負になりませんでした。僕が少し攻めて、足が止まったときに一気に寄り切られるという、横綱相撲を見せられた感じでした」

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 その後、二人は食事をしながら師弟の会話をした。

「連盟の近くにチャコという美味しいステーキ屋さんがあるんです。そこに師匠に連れて行ってもらいました。本当に美味しくて、でもすごい高いんです。師匠がご馳走してくれて、『強くなればこういうものをたくさん食べられるよ』って言われたのが印象に残っています」

 少年にやる気を起こさせたのは、激励の言葉よりご馳走だった。師の策は功を奏して、佐々木は無事に合格した。

 

劇的な変化をもたらした師匠からのアドバイス

 奨励会入会から4年後、佐々木は二段のときにスランプに陥り、降段の一歩手前まで追い込まれてしまった。これまで降段を経験してプロになれた者はいない。

「あと3敗すると初段に降段というところまできてしまって。本当に苦しくて、どうしたらいいのかわからなかった。そのときに師匠から初めて『将棋を指そう』という連絡をいただきました」

 深浦は佐々木を弟子に取るとき「三段までは指さない」と決めていたという。棋譜を送らせての添削指導はするが、それまでは自分で強くなる努力が必要だと考えていた。

 

「師匠から連絡をもらったときには、本当に嬉しかった。常に自分を見てくれているんだなと思いました。数局教わってアドバイスをいただき、そこから8連勝できたんです。そのおかげで三段に上がれました」

 将棋はメンタル的要素が大きいとはいえ、あまりにも劇的な変化である。

「師匠がいなかったら、どうなっていたかわかりません。先日も新人王戦の第1局で負けた後、『対局が忙しいときやメンタルが落ち込んだときはどうすればいいのですか』と相談しました。すると、『自分は日頃、羽生先生を間近に見ているから、その忙しさがわかる。羽生先生のように迷わずに目の前の一局一局にベストを尽くすことが大切です』と丁寧なメールをいただきました」