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「もう帰るところはないぞ」奨励会のために一家で引っ越した佐々木大地の覚悟

「もう帰るところはないぞ」奨励会のために一家で引っ越した佐々木大地の覚悟

『師弟 棋士たち魂の伝承』より

2021/12/30
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深浦は家族の覚悟を知り弟子入りを受け入れた

 それから深浦は佐々木の両親と電話で何度も話をした。

「対馬から奨励会に通えるのか。もし対局中に心臓発作が起きたらどうするのか」

 すると父親は、「息子を奨励会に入れるために、家族で東京の近郊に引っ越すつもりでいます」と強く訴えた。そして「息子の病気についての責任はすべて私が持ちますから」と。

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 深浦は熱い魂を持った男である。佐々木本人の将棋への情熱、両親が息子を思う気持ちは彼の心を打った。そして同じ長崎出身である深浦は、地方出身の子が棋士になることの苦労を身をもって知っていた。

「東京や大阪に住む子は、将棋の勉強をするにも、弟子入りを受け入れてくれる棋士にも恵まれている。地方の子たちがプロを目指すには、家族にも大きな負担をかけることになる。仲間と研究する機会も少ない。私が弟子を取るなら、そうした子たちの力になってあげたい」

 

家族で横浜に引越し「本当にプレッシャーが凄かった」

 佐々木大地の父・靖美は、息子の奨励会入りに備えて、家族で横浜に引っ越すことを決意した。九州の離島から身寄りのない横浜に引っ越すというのは、大きな賭けである。靖美自身も52歳からの転職は簡単ではなかった。妻と娘、息子の生活を守り抜かねばならない。そのためには、プライドも培ってきた経歴も捨てる覚悟だった。

 取材で会った靖美は、島育ちのがっしりとした男だった。温厚で笑顔の魅力的な人だった。対馬ではパンの製造会社で働いていたという。引っ越しについて、家族の反対はなかったのか聞いてみた。「妻は私が言うことについてきてくれますから。あと上の娘を大学に行かせたいのもありました」。大地が棋士になるためには、大阪か東京に通える範囲に住む必要があった。健康状態からも、一人で行かせるわけにはいかない。家族で引っ越すなら、仕事を探す上でも大都市圏がいいと判断したのだろう。靖美は自分の決断に迷いはなかったが、息子については、「まだ世の中のことを何も知らない年齢で、職業を決めさせていいのだろうか」という躊躇いはあった。

 息子の大地も、子ども心にことの重大性はわかっていた。自分の夢を実現するために、家族の人生も大きく変わったのである。小学6年生の12月に横浜に移り、翌年の奨励会受験までには8ヶ月あった。

「その間は本当にプレッシャーが凄かったです。祖父母とか親戚は、ほとんど対馬に住んでいるのに、わざわざ身寄りのない土地に引っ越してきているわけですから。父親からも『もう帰るところはないぞ』と言われて。絶対に負けられないですよ」