将棋界における師匠と弟子の関係性が注目を集めている。スポットライトが当たったのは、のちに将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞した『師弟』(野澤亘伸著/光文社)の存在が大きかっただろうか。現在、ABEMA将棋チャンネルでは「第1回ABEMA師弟トーナメント」が放送されている。

 そこで、「第1回ABEMA師弟トーナメント」にも出場している中田功八段と佐藤天彦九段について、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)から一部を抜粋して紹介する。

東京での生活は荒れていた

 東京で棋士として生活を送っていた中田功は、地元の福岡に帰省した際に、世話になった将棋道場の席主から一人の少年を紹介される。ひどい二日酔いの状態ながら、駒落ちで指導対局をすると予想以上に強い。「この子とは自分がちゃんとしたときに対局したい」。そう思った中田は帰省するたびに指導対局をするようになる。少年の名前は佐藤天彦といった。1年後、佐藤は奨励会受験を希望し、中田は師匠になってほしいと頼まれる。

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「何の実績もないC級五段の自分には、弟子を取る資格はない」

 棋士になって10年、中田功の東京での生活は荒れていた。将棋に勝てない。負ければ当然収入も少なくなり、好きな酒の量だけが増えた。本来なら棋士として指し盛りの年である。

「私はいつも問題を先延ばしにしてしまった。楽天的というか、悩むのが好きじゃないというか」

中田功八段(左)と佐藤天彦九段(右)

 親元を離れて、小学校卒業と同時に一人東京に出た。棋士を志すならば、中学生で下宿生活をするのは珍しくないことだった。地元の期待を背負い、18歳でプロデビューを果たす。順調だったことが、心に隙を生んだかもしれない。

 競馬、競輪、そして麻雀。ゲームと呼べるものには才能があった。将棋以外の誘惑に浸る日々。宵越しの銭を持たぬほど飲み歩く。そんな生き様を「昭和最後の棋士」と呼ばれても、悪い気はしなかった。

 棋界では羽生世代の台頭が新時代をもたらしていた。彼らの姿が遠く感じたのは、いつの頃からだろう。

「このままじゃまずい……」