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「君もそろそろ弟子をとってもいいのではないか」

 しかし生活は変わらなかった。深く思いを巡らせることから逃げていたのだ。

 佐藤天彦には非凡な才を感じていた。あの子には、自分よりふさわしい師匠がいるはず。師・大山康晴十五世名人亡き後、中田が頼りとしていたのは兄弟子の有吉道夫九段だった。

「とても有望な子が奨励会受験を希望しています。先生の弟子にしていただけませんか」

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 有吉の返答は明快だった。

「君もそろそろ弟子をとってもいいのではないか」

 兄弟子の言葉に、押し込めていた感情が込み上げる。本当は、自分は佐藤に夢を見ていたのではないか。

 中田功29歳、佐藤天彦9歳。東京と福岡という離れた関係ではあったが、二人は師弟となった。

絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)

 中田はそのことを最初に報告せねばならない人がいた。それから間もなく、東京・荻窪の大山夫人の元を訪れる。

 大山邸は閑静な住宅街にあった。師の部屋からは襖や障子を開け放つと家全体が見渡せるようになっており、本棚には蔵書がびっしりと詰まっていた。冷蔵庫にはいつも来客用にビールが冷えており、中田は「一本いただきます」と言うと、自分で栓を抜いて洋間に座った。和室に上がることは滅多になかった。中学のときに夫人に叱られて、そこで正座をさせられたのを覚えている。

「あんたが師匠になるなんてねぇ」

 夫人の声は嬉しそうだった。

 佐藤は奨励会入会後、順調に昇級・昇段して中学3年で三段になった。卒業後、福岡を出て千葉に住むようになる。ネットで対局してきた渡辺明五段(現名人)と交友を持つようになり、深浦康市(現九段)、木村一基(現九段)から研究会に誘われた。弟子が関東のトップ棋士から声をかけられたことを知り、中田は喜ぶ。「もう私が出ていく必要はない。この3人なら最高の研究の場を与えてくれる。佐藤天彦を育てたのは彼らだと思いますよ。私はこれで心おきなく、お酒が飲めるようになりました」。そう言って笑った。