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「そんなところに、佐藤天彦をやれるかよ…」“昭和最後の棋士”中田功が弟子に見ていた夢

「そんなところに、佐藤天彦をやれるかよ…」“昭和最後の棋士”中田功が弟子に見ていた夢

『絆―棋士たち 師弟の物語』より

2022/01/15
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気持ちの中で何かが引っかかった

 佐藤は三段リーグ4期目に、12勝6敗で2度目の次点となった。希望すれば、規定によりフリークラスとしての四段昇段が認められる。まだ16歳だった。

 中田はこの日、連盟のサッカー部の合宿に参加していて、練習後にロッカールームに引き上げると佐藤が次点を取ったことがすでに話題になっていた。「おめでとう」と声をかけられる。フリークラス制度は1997年から設けられた規定で、行使して四段に上がった棋士はそれまでに1人。順位戦には参加できないという立場だが、プロ入り後に30戦して6割5分以上の成績をあげれば、参加が可能になる。ただ、中田の気持ちの中で何かが引っかかった。

「うまく言えないけど、気に入らない」

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 制度に対して批判する気持ちはない。ただ当初のフリークラスは、ベテランが順位戦をやめてシード権を持ったまま移行する制度という意味合いが強かった。若手が加入して対局や収入はどれくらいあるのか。規定の成績をあげてフリークラスを脱出し、順位戦に参加できるまで、何年かかるのか。当時は現在よりも棋戦の数が少なかった。

 

 佐藤の両親に相談すると「師匠の判断にお任せします」という返事だった。中田は迷ったが、最終的には佐藤の気持ち次第だと思っていた。本人が四段昇段を希望すれば、止めるつもりはない。回答期限が1週間後に迫ったときに、佐藤と阿佐ヶ谷のステーキハウスで会った。

「どうする?」

 中田の問いに佐藤は「どっちでもいいです」とあっさり答えた。困ったのは中田だった。

「えーっ、そうなのって感じでした。早くプロになりたいはずなのに、どっちでもと言われると、次の手が浮かばなかった」

 中田は自分がフリークラス入りを迷う理由を佐藤に伝えた。順位戦に参加できるまで早くても2、3年はかかるだろう。現在の三段リーグには稲葉(陽、現八段)、糸谷(哲郎、現八段)、豊島(将之、現九段)といった俊英がそろっており、残って将来もライバルとなる彼らとしのぎを削るほうが、得るものが大きいのではないか。

 聞き終えた佐藤は「わかりました」と答えた。そして、少し間を置いた後、新たな決意を込めるように言った。

「早くプロになりたいです」