先輩棋士からは「バカじゃないのか」
中田は言う。「彼が四段になれると確信していたわけではない。奨励会の地獄をたくさん見てきましたから。私の判断を聞いた先輩棋士から『バカじゃないのか』と言われました。名人は獲れなくても他のタイトルは狙えるんだぞと。それも正論ですよね。どちらの選択が正しかったのか、今でもわかりません」。
佐藤はフリークラスを見送った後、四段に昇段するまでに三段リーグ4期2年を費やした。
「プロになれば、公式戦にも出られてお金を稼ぐこともできる。それも大きなことですけれども、師匠がとても悩まれて、いろんな人に話を聞いて考えをまとめられたことでした。ありがたいことでしたし、その考えに納得しました。正直、それからの4期は長い時間でした。高校生のうちにプロになれず、両親に援助を続けてもらいました。あと1年くらいでプロになれなければ、続けていても仕方ないのかなと感じていました」
今回の取材で、中田には何度か話を聞く機会をもらった。フリークラスが当時といまでは状況が違うことも説明してくれた。中田は感情だけで、現実味のないことや、誰かを傷つけることを決して言わない。ただ、居酒屋で酒も回った後に、こう呟いた。
「フリークラスなんて、勝てなくなった棋士の救済措置じゃないか。そんなところに、佐藤天彦をやれるかよ……」
師への憧憬は、名人への思いでもあった
2015年度、佐藤は目覚ましい活躍を遂げる。王座戦と棋王戦の挑戦者になり、タイトル奪取こそならなかったが、この年度の最多対局賞、最多勝利賞、名局賞を受賞した。
そして2016年春、佐藤はA級1年目にして名人挑戦権を獲得する。
中田は言う。「昔はA級はタイトルのようなものでした。A級の10人、B1の13人って、すごい存在ですよ。佐藤君がB1に上がったときには、驚いたなぁ。想像していたよりもペースが早かった。それなのに何も言ってこなくて。楽しみにしているんだから、連絡くらいくれよと言ったんです。そうしたら翌年A級に上がりましたって。そのクラスにいけば厳しい目に遭うのが普通です。さすがに残留できればいいなと思っていたら、今度は名人挑戦でしょ。もう呆然ですよ」
笑いを挟みながら、中田はふと真面目な声になって言った。
「彼は私と違って物事を考えて、遥かに努力をしてきた。でもこの世界にはそんな奴はゴロゴロいるんでね。名人に絶対なるなんて思っていない。なれないかもしれないというのが、当たり前ですから」