それを見た中原の手が静かに動く。その瞬間、身体が固まった。自玉が、頓死していた。背中を一筋、二筋と冷たいものが流れる。汗が伝う感覚が、こんなにも冷たく感じられたことはなかった――。
この一局で流れは完全に変わった。桐山は次局も落として、タイトル獲得を逃す。
悲願の初戴冠を果たすのは、4度目のタイトル挑戦となった第10期棋王戦であった。保持者の米長邦雄は、大山・中原に次いで史上3人目の四冠を達成したばかりだった。“世界で一番将棋が強い男”と呼ばれた米長の牙城を崩して、桐山は37歳で初戴冠を果たした。
就位式の当日、式辞を見た桐山は驚いた。祝辞の欄に升田幸三の名前がある。サプライズな演出であった。当時、2人目の師匠・増田敏二はすでに他界していた。升田節のスピーチがいまも耳に残る。
「あんな意気地のない子がタイトルを獲るとは思わなかった。こんなことなら手放さなければよかった」
将棋の世界しか知りませんから
「私が大阪の奨励会に入ったときに、1つ上に明らかに私よりも才能がある人がおったんですよ。その人が1年ほどして急に辞めてしまった。なんで辞めたかというのは、いつまでたっても思います。将棋が好きでないんですかね。
私みたいに、いつ辞めるかみたいな方が続いて。7級で1年9ヶ月、6級で1年6ヶ月もかかった。自分は将棋が好きでたまらなくて、将棋の道しかないと思っています。でも、そうじゃない人もおるということですよね。
塾生のときは、記録を取って泊まられる先生方の布団を敷いて。多いときは6人分。お酒を飲まれる先生もいる。遅くなると店が閉まってしまうから、夕食休憩のときに買っておく。怖い先生もおって、酔われると正座させられて懇々と説教されたり。
でもつらいとか、しんどいとか、そういう気持ちは全く起きませんでした。自分で決めましたんでね。内弟子で一度失敗してますから、もうあとはありません。プロの先生は神様みたいなものだと。絶対やと自分で思ったんです。不満とか一切思ったらダメだと。
私なんか将棋の世界しか知りませんから。やっぱり生まれ変わっても棋士になるんじゃないかと思います」
写真=野澤亘伸
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桐山清澄九段とその弟子・豊島将之九段の物語は、『絆―棋士たち 師弟の物語』(マイナビ出版)で全文が読める。「将棋世界」の連載をまとめた同書には、計8組の師弟が登場する。