きょう10月23日、タレント・俳優の磯山さやかが40歳の誕生日を迎えた。2000年に高校2年でグラビアアイドルとしてデビューして以来、いまなおこの方面でも活動を続けており、今月20日には新たに撮り下ろした6年ぶりの写真集『and more』(講談社)が発売されたばかりである。

 デビューのきっかけは、ホリプロスカウトキャラバンの2次審査に落ちた帰り道、その後所属する事務所のマネージャーに声をかけられたことだった。初仕事は、新人グラビアアイドルを紹介する1ページの水着グラビアで、掲載誌が17歳の誕生日の前日、10月22日に発売されたので、本人はその日をデビュー日としている。

©時事通信社

 もともと胸が大きいのがコンプレックスだったので、グラビアでデビューするのはとにかく恥ずかしくて、見られるのがいやでしかたがなかったらしい。それでも3年目ぐらいにはファンも増えてきて、写真集の発売記念イベントのたびに褒められるようになり、今後も喜んでもらえるよう、グラビアの仕事を頑張ろうと決めたという。

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茨城県の実家から通勤していた

 デビューしてからも数年間は、茨城県鉾田市の実家から東京の仕事場に通い、地元の高校では硬式野球部のマネジャーを務めていた。当時を振り返り、《野球部員の皆さんやクラスの男子は私のグラビアを見ているはずなのに、何も言ってこない。それが逆に恥ずかしいというか、むず痒いというか(笑)。ある意味、放っておいてくれたから、学校とお仕事の切り替えがうまくいきました》と語る(『FLASH』2020年11月3日号)。

6年ぶりの写真集『and more』(講談社)

 高校で野球部のマネジャーになったのは、テレビアニメ『タッチ』を再放送で見て、野球部のマネジャーを務めるヒロイン・浅倉南に憧れたから。デビュー時も芸名を「浅倉さやか」か「磯山南」にするか事務所の人と話し合ったほどであった。

 浅倉南はマネジャーと新体操部をかけもちしていたが、磯山に言わせると《部活のかけもちなんて絶対無理なくらい忙しかった》(『ダ・ヴィンチ』2012年12月号)。そもそもスカウトキャラバンに挑戦したのも、学校と部活で忙しすぎる毎日のストレスの発散のためだった。単に忙しいだけでなく、《監督と部員の板挟みにあうし、保護者の方にも気を配らなきゃいけない。練習を手伝いながら「なぜ人のためにこんなに働いているんだろう」と何度も思いました》という(『週刊朝日』2015年8月7日号)。

 高校最後の野球部の試合はドラマの撮影で行けなかったものの、それでも《やり遂げられたことは自信になっています》と振り返る(前掲)。「やり遂げる」ということは、その後も彼女にとってモチベーションになっているようだ。