吾朗さんはジブリパークの造営以前に、東京・三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを務めた。さらに遡れば、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化の計画・設計に携わっていた。
「隙間や細部を生かす」「見えないところまでつくり込む」というのは、空間設計のプロフェッショナルとしての基本思想なのか。
「好きなところにジブリ的なものをつくってみる」という試み
「そうですね。僕のキャリアは、公園の計画や設計から始まっています。公園をつくるとき、最も大きな制約条件となるのは立地です。土地が平らなのか山がちなのか、広いか狭いか、日当たりの良し悪しはどうか、周囲にはどんな植物が生えていてどんな建築があるのか……。ひとつとして同じ立地はないので、周りの環境に合わせて計画していかなければ、いい公園はつくれません。
状況に合わせてこの場所でできることを考えていく。何もない広大な更地を渡されて、フリーハンドで好きにやれと言われたら、僕の場合はきっと困ってしまいます。そういう意味では、すでに公園としてオープンしている場所で、『好きなところを選んでいいので、なにかジブリ的なものを作ってみませんか』と言われたのは、僕にとってはありがたいことでした」
散歩道をジブリパークのエリアとエリアをつなぐ道に活用
ではジブリパークの立地についても、さぞ熱心に読み込んだ?
「はい、現地を訪れて『ここなら迷惑がられないかな』というところを探しました」
同地は1970年に青少年公園として開園し、2005年愛知万博の会場として使われたあと再整備され、「愛・地球博記念公園」として現在のかたちになった歴史を持つ。長らく地域住民に親しまれてきた公園に、何をどう付け加えるか。かなり思案を重ねたのではないか。
「当初から、公園内の好きなところを自由に選んで計画を立てていいと言っていただいていたのですが、ジブリパークは公園内の使っていない場所を探してつくろうと決めました。これまでの公園の楽しみ方はそのままに、邪魔にならないようジブリの要素を付け加えていくことを心がけました」
園内とその周囲を隈なく歩き、検討を重ねた結果、広大な公園の各所に5つのエリアを点在させることに。昨年の開園時には3つのエリアがオープン。使われなくなった室内温水プール施設を引き継いだ「ジブリの大倉庫」。ジブリパークのエントランスにあたるエレベーター塔がある「青春の丘」。そしてジブリの大倉庫から山道を歩いて15分の山中にある「どんどこ森」だ。
「『どんどこ森』へ至る山の中の散歩道は以前からあったのですが、これまでほとんど利用者がいませんでした。せっかく気持ちいい道があるので、もっと足を運んでもらいたい。そこでこれをパークのエリアとエリアをつなぐ道とすることで、利用者増をはかりました。ジブリパークが加わることによって、従来の公園施設がさらに隅々まで活用されるようになればうれしいです」