アメリカでは、政界を中心に陰謀論者や原理主義保守派の暴走が止まらない。ここでは、現地在住の映画評論家・町山智浩氏がリアルタイムのアメリカをレポートした『ゾンビ化するアメリカ』(文藝春秋)より一部を抜粋。
今年1月に発売された、ヘンリー王子の自伝『スペア』。本書の赤裸々すぎる内容に、イギリス・アメリカのメディアはどのような反応を見せたのか――。〈初出は「週刊文春」2023年2月2日号〉(全4回の3回目/続きを読む)
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「スペア(予備)? 僕のこと?」
「アメリカって住むには最高だね!」
そう言って笑うハリー王子に、ニューヨークの観客は拍手喝采した。彼はCBSテレビの番組『ザ・レイト・ショー』に出演して、司会のスティーヴン・コルベアとテキーラで乾杯した。
ハリーことヘンリー王子は英国の王子でサセックス公爵、しかし王室を離脱し、2020年からアメリカ人の妻メーガンと2人の子供と共にカリフォルニア州のサンタバーバラに住んでいる。好物はもうスコッチとフィッシュ&チップスではなく、テキーラとハンバーガーだという。
番組でハリー王子が座る椅子の横には、もう1人のゲストであるトム・ハンクスが座ることになっている空の椅子があった。それを指差してハリーはこう言った。
「この椅子はスペア(予備)? 僕のこと?」
ハリー王子はこの日、自伝『スペア』を発売した。その本のなかで彼は、次男である自分は、長男であるウィリアム王子のスペアにすぎない、と感じてきたと書いている。
『スペア』は英・米・カナダで発売即140万部を超えるベストセラーになったが、発売前から、あまりに率直すぎる書き方が物議を醸していた。
ハリーは大学生の頃、タブロイド紙に「不良王子」と書かれたこと、つまり連日、酒やドラッグに溺れていたのは事実だと認める。また、童貞を捨てた経緯(年上の女性に誘われて酒場の裏の草の上で)や、北極点への200マイル踏破にチャレンジした時にペニスが凍傷になったことまで書いている。
北極点チャレンジは、傷痍軍人支援のチャリティ・イベントとして行われた。ハリーは英国軍人としてアフガニスタンに従軍し、攻撃ヘリの銃撃手としてタリバンの兵士25人を射殺したという。
「その25人を僕は人間と考えなかった。人間と考えたら殺すことはできない。彼らはチェスの駒にすぎない。善良な人を殺す前に悪党どもを取り除くのだ。そのように敵を非人間化するように僕は訓練された」
この記述には「でも兵士は人間であって駒じゃない」と批難が殺到した。ハリーは『ザ・レイト・ショー』で、「あれを書いたのは、(戦場で人を殺した罪悪感でPTSDを負った)退役軍人の自殺を防ぐためです」と弁明した。