「ヒトこそが貴重な資源」だった高度経済成長期
このとき、ユタ大学ジェイ・B・バーニー教授のリソース・ベースト・ビュー(RBV)が予測する通り、希少・貴重な資源を集める企業が経営戦略上も優位に立つ。だからこそ、高度経済成長期のインフレ下の経営では「(希少資源である)ヒトに好かれる経営」が正解だったといえる。
たとえば、戦後の日本経済の急成長は慢性的な人手不足をもたらした。そのため、人材という希少資源を囲い込むことが企業の競争優位につながった。そこで生まれたのが、終身雇用・年功序列・企業別労働組合といった日本的経営の諸制度だったと考えられる。
労働者もまた、戦前・戦後の10年で「最も頼りになる資産は自己の労働力だ」と確信する根拠があった。終戦の前後5年の10年間で日本の労働者の賃金が約181.4倍(公益財団法人 連合総合生活開発研究所『日本の賃金:歴史と展望 調査報告書』)になる一方、株価や地価はせいぜい10倍から100倍にしかならなかったためだ(明治大学株価指数研究所『兜日本株価指数』、日本銀行統計局編『明治以降 本邦主要経済統計』)。
こうして、企業経営者・資本家の側にも、一般従業員・労働者の側にも、「ヒトこそが貴重な資源だ」という意識が芽生えたわけである。だからこそ、ヒトが価値創造をおこなう上での障害を取り除くのが経営だという意識が浸透した。経営者は、ヒトという貴重な資源を無駄にしないように、無駄な労力を使わせるだけの仕事を減らし、ヒトが価値創造に集中できる状況を作り上げていった。
さらに、日本企業は、様々な人材育成施策、OJT、QCサークル活動、改善活動等といった「すべての人に開かれた経営教育」を通じて、経営知識と経営意識の格差という価値創造の障害さえも取り除いた。
組織内で経営知識と経営意識を高く持つ人とそうでない人が偏在すると、仕事は「自分たちには関係ない、あいつらがやること」という感覚が蔓延する。それにより組織内に摩擦が生まれ、人間同士のいがみ合いが価値創造の障害となる。
この状況を、過去の日本式経営は、組織内のすべての人に経営知識と経営意識を浸透させることで克服したのである。