どう生きるかという命題が、どう死んでいくのかに移行する潮目があるのだろう。老いを覚え、あるいは病を得て、ひそかに残された日々のカウントをはじめた世代がいだく切実なテーマに、渾身で取り組んだ作品が本書である。
主人公は大手出版社で文芸畑を歩んできた澤登志夫(さわとしお)。定年後、カルチャーセンターで小説執筆の講座をもってきたが、腎細胞がんが腰椎(ようつい)へと転移し、余命を数えはじめた。古希(こき)が近づいた日、最終講義を行い、仕事に区切りをつける。
すでに四十代で離婚しており、一人娘とも疎遠、長く一人暮しを続けてきた。かつての恋人とも別れ、さらに死別し、「彼は厳然として独りだった」。
ときに寂寥感にとらわれつつも、それは自身の意志で選んだ人生だったと毅然として自覚する男でもあった。そして、人生のエンディングにある選択を果たそうとしている……。
本書を同世代人の心境物語として読めば、違和感や不可解さはなにもない。
講義を終えた日、受講生の一人、宮島樹里(みやじまじゅり)が出口で待ち構えていた。極めて熱心で、創作の水準は図抜けていた。外見は地味で平凡だが、内面の輝きがふと伝わってくる娘だった。創作は実体験に近いという。その日がきっかけとなり、二人はスタバなどで待ち合わせるようになる。
もう男女の関係にはなり得ない。ただ、樹里は心から澤を尊敬し、澤は彼女と言葉を交わしているとやすらぎを覚えた。互いの存在へ深い理解が及ぶさいの心地よさであろう。ただの小娘が、人生の最終局面で「神の特別の温情として」送り込まれたようにも思えてくるのだった。
澤は樹里には病や余命のことはほとんど口にしない。それは、これから人生の長い歳月を刻んでいく世代に伝えるべきことではない。終始、抑制を崩さぬ大人の男だった。
わずかに、樹里の耳元で囁いた、「……おれが死んだら、おれのことを書け。小説にするんだ」「きみなら傑作が書ける」が訣(わか)れの言葉となった。佐久の別荘で、澤は最期のときを迎える。意識が遠のくなか、「おれはおれの人生を生きたのだ」と思いながら。
君は君自身の人生を生きろ。私がそうしたように――。去り際の思いとして、あるいは残るものへのメッセージとして、なかなか粋な台詞ではあるまいか。
評者が著者の一ファン読者であり続けてきたのは、半端でない覚悟性と迫力によってである。そのことは本作でも際立っており、小池作品の頂点を成す作品が生まれたようである。
こいけまりこ/1952年東京都生まれ。89年『妻の女友達』で日本推理作家協会賞、96年『恋』で直木賞、98年『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞。
ごとうまさはる/1946年京都府生まれ。95年『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞。『天人 深代惇郎と新聞の時代』他。