『雲上雲下』(朝井まかて 著)

 ――「歴史」とは、決して過去にあった事実というわけではないのです。過去が「歴史」となるためには、必ず、現在の視点において「歴史化」する過程が必要となります。まずはそれを自覚することから始めましょう。

 本書を読み終わった時、そう語る穏やかな声が耳の奥に甦ってきた。大学院の史学科に進学した学生達に向け、恩師がかけてくれた言葉である。「歴史化」する過程とは、すなわち「物語する」という行為だと私は解釈しているが、この作品はまさに「物語すること」を、構造とテーマ、二つの側面から描きだそうとしているように思えてならない。

 土の湿り気、風の匂いまで感じられそうなほどに見事な筆致で描かれる物語は、よくある昔話や民話、御伽噺の姿をとって始まる。語り手が草であり、聞き手が仔狐であるということを除けば、ありふれた出だしであると言えなくもない。実際、前半はそういった読者の予断通りにストーリーは進行していく。山姥に乙姫、龍神と、作中で語られるキャラクターの名前は、どこか聞き覚えがあるものばかりなのだからなおさらだ。しかし同時に、ここで語られる話には、どこか耳新しい要素が必ず入っている。読み進めるうちに、読者は物語するキャラクターと物語されるキャラクター、その双方と同一化していくことになる。そして終盤、物語そのものがメタ的な次元に及んでいると明らかになった時、知らぬうちに、自分自身もその構造の中に取り込まれている事実に気が付くのだ。全体の形があらわになった瞬間、全身に鳥肌の立つような感動を覚えた。

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 この作品には、忘れられた民話の復興や、現代の物語事情に対する問題提起などもテーマとして含まれているようだが、個人的には、「物語する」行為の難しさを積極的に扱った面に面白さを感じた。

 一つのストーリーを価値あるものとするためには、数ある情報を取捨選択し、一部分を大きく膨らまし、他者に対して「語るに足る物」としなければならない。「物語する」という行為には、必ず、語り手の意思が介在し、聞き手が存在する必要があり、それは時に「語られるもの」それ自体より重要な意味を持つことになる。卵が先か鶏が先か――歴史と同様、本質的にジレンマを抱えながら、物語は成立している。

 そういった難しさに向き合う真摯な眼差しを持ちながら、自由に広がる物語を一点に収斂させ、読者の胸にストンと落としてみせた作者に対し、心からの敬意を表したい。

あさいまかて/1959年大阪府生まれ。甲南女子大学卒業。2008年『実さえ花さえ』で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し作家デビュー。14年『恋歌』で直木賞、『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、17年『福袋』で舟橋聖一文学賞を受賞。『最悪の将軍』『銀の猫』など著書多数。

あべちさと/1991年群馬県生まれ。作家。早稲田大学大学院文学研究科博士課程在籍中。12年『烏に単は似合わない』で松本清張賞。

雲上雲下(うんじょううんげ) (文芸書)

朝井まかて(著)

徳間書店
2018年2月16日 発売

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