「競輪、競艇、競馬。胴元が国でそれを相手に勝つわけがないだろう、とわしはいつも人に聞かれたら答えている」

 極道歴66年、元ヤクザの正島光矩氏(1940年生まれ)が「公営ギャンブル」をやらない理由とは? ヤクザ社会の変遷、その実態を明らかにした初の著書『ジギリ 組織に身体を懸けた極道人生』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

極道歴66年の元ヤクザはなぜ「公営ギャンブル」をやらないのか? 写真はイメージ ©getty

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博打の美学

 わしは博打が下手で博才が無いから損をしていた。博打の胴元をして儲けたこともあるにはあるが、博打や公営のギャンブルでいい思いをしたことがない。

 今、わしはほとんど博打はやらない。パチンコはボケない程度に頭の体操を兼ねてほどほどにやっているが、大金をつぎ込むことはしない。

 わしの兄弟分なんかはパチンコも含めてみんなそれで損している。

 競輪、競艇、競馬。胴元が国でそれを相手に勝つわけがないだろう、とわしはいつも人に聞かれたら答えている。博打は胴元が勝てるようになっているし、国はいくらでも受けるからだ。

 それで財産を潰した人間はわしの周りだけでも結構多いから、国全体を見回したらかなりの人数がいるだろう。

 一時期だけではあるが、わしもボートにハマっていたことがある。その当時は大阪から九州へ行ったり、九州から東京へ行ったり、選手を追いかけるほど熱を上げていた。

 何百万円を手に下げて選手を追いかけて、それが一瞬で無くなったという苦い経験も何度もある。

 ボートにはまったのは1960年(昭和35年)くらいのことだったと記憶している。そのとき仲の良かった兄弟分と、住之江の競艇場に行こうという話になった。12月30日だった。その日のことは鮮明に覚えている。