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「公党としておかしなことだ」参政党に猛然と抗議…25年間“選挙”に憑りつかれた男(50)が「もう限界」と話すワケ

フリーランスライター・畠山理仁を追ったドキュメンタリー映画『NO 選挙、NO LIFE』

2023/11/18
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修行僧のようにストイックなワケ

 これで全員の候補者の取材を終え、ようやく雑誌の記事を執筆する。全候補の顔写真と政策を書き込んだ記事ができあがる。

 効率悪いことこの上ない。

 もっと手を抜いた取材もできるはずだ。

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 ここまでくると被虐的ですらある。

 しかし、畠山は修行僧のようにストイックな姿勢で選挙報道を続ける。同業者としては、かなわない、と正直思う。

2022年9月の沖縄知事選で玉城デニーに取材する畠山 ©ネツゲン

 主要候補や“無頼系独立候補”(畠山は泡沫候補のことをこう呼ぶ)を分け隔てなく取材する姿勢の根幹には、立候補者への敬意がある。高額な供託金を工面して立候補し、よりよい社会を作るために独自の政策を掲げる。彼らにとって選挙における当選は「究極の目的」であることに間違いはないが、それ以前に社会のために「実現したい政策」がある。

 1人でも多くの候補者が知恵を持ち寄ることでいい社会ができるはずだ。そう信じる畠山は、候補者を「公共心にあふれた義勇の志士」と呼び、その活動を記録できるのは自分しかいないと自負する。裏を返せば、そこには、主要候補の動向、あるいは当落しか報じようとしない大手マスコミへの批判精神がある。

ライターを目指すようになったきっかけ

 しかし、出版業界の市場規模が縮み続ける中、そんなやり方で大丈夫なのかという疑問がわいてくる。

 カメラは、採算度外視にみえる取材姿勢に疑問を投げかける。それで採算は取れるのですか、と。

 畠山は、黒字になることもあれば、赤字のこともある、と正直に打ち明けた上で、

「だから、どうやって止めようかなと思っているんですよ」

 と打ち明ける。

――え、選挙取材を止めるんですか?

「赤字の選挙取材の人生をどうやって止めればいいのかな。もう限界かな。もうすぐ50歳になるんで。今年で終わりかな、と思っています」

 そんな畠山が、猛然と抗議する場面がある。

 参政党が開いた参院選挙の投開票日の翌朝未明の記者会見に出たが、その数時間後、参政党の担当者から取材した映像などを使わないでほしい、という電話が入る。

選挙期間中に携帯電話とパソコンを駆使する畠山 ©ネツゲン

 そうした姿勢に、畠山はストレートに怒りをぶつける。メディアによって差をつけるのは、税金をもらって政治活動をする公党としておかしなことだ、と。

 畠山がライターを目指すようになったきっかけは、早稲田大学時代に所属した編集プロダクション。当時の社長の、ここで5年間修業を積めば一人前の書き手に育ててやる、という言葉につられ、報道の世界に足を踏み入れる。ライター稼業に没頭するあまり、大学は除籍となる。