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やたらと目立つ工場。これは…

 柏尾川沿いを北に向かって歩きながら、再び東海道を目指す。その途中、嫌でも目に留まるのは日立製作所の工場だ。戸塚駅から柏尾川を挟んで東側一帯に広がっている。戦前の一時期には競馬場があって、1日に3万人ものお客がやってくるほど賑わったとか。

 

 宿場町の中心に近い西口にしか出入口がなかった戸塚駅に、はじめて東口が誕生したのはこの戸塚競馬場があったから。競馬場は1942年に駅の西側の丘陵地に移転し、跡地は日本光学の工場になった。それが1957年に日立製作所によって買収されていまに至る。

 

 この日立製作所に限らず、戸塚駅の周辺はやたらと工場が多いというのも特徴のひとつだ。柏尾川沿いを旧東海道よりも北に進んだところにはブリヂストンの工場があるし、駅の南西側には中外製薬の研究所がある。中外製薬はもともと日立製作所の工場があったところだ。

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 さらに、アピタ戸塚店は東洋電機製造の跡地。このように、なぜか戸塚駅は、ただのベッドタウンとそれに付随する商業地というわけではなく、工業地帯としての顔も持っている。

 戸塚の工場の多くは戦時中に進出したもので、都心に近く、それでいて内陸の丘陵地にあって敵からの攻撃のリスクが低く、鉄道の便もある。そうした背景があったのだろう。いくつかは移転して姿を消したものの、いまだに日立やブリヂストンなどの工場が戸塚の町のシンボルになっている。

 

 日立の工場を横目に柏尾川沿いを歩き、東海道に出たところでまた橋を渡って駅に向かう。ずっと進んでゆくと、ちょうど線路と交差するところで、東海道は途切れている。

 クルマは少し北側でアンダーパスし、人は跨線橋で東海道線を跨ぐことができる。この跨線橋、「戸塚大踏切デッキ」という。その名からわかるとおり、ここにはほんの数年前まで戸塚大踏切という踏切があったのだ。