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 東海道と線路の間は完全にフェンスに覆われて、踏切の痕跡はほとんど残っていない。そんな中でも、フェンスの脇には踏切があったことを示す案内板も置かれている。そもそも跨線橋の名前が戸塚大踏切デッキというのだから、開かずの踏切は迷惑ではあっても憎めない町のシンボル、みたいなものだったのだろうか。

 戸塚大踏切デッキを渡り、そのまま東海道を歩いてゆくとトツカーナや戸塚区役所の裏側に広がるバスターミナルに出る。さらにそのまま南に進むと戸塚宿の本陣があったあたり。明治天皇が東京に移った際にも戸塚宿の本陣で泊まったというから、なかなか立派な宿場町だったのだ。

 

東京駅を出て5番目の途中駅「戸塚」の“絶妙な光景”

 東海道と線路の間には柏尾川が流れる。そのスキマには小学校や路地沿いの商店街。駅に一番ちかいあたりには、狭いながらもごちゃついた、プチ歓楽街ゾーンもちゃんと用意されている。トツカーナや区役所一帯は再開発で2010年にできたもの。それ以前は、こうしたごちゃごちゃした商業ゾーンが駅前一帯に広がっていたのかもしれない。

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 こうして宿場町にはじまる戸塚の町を、駅を中心としてぐるりと歩いた。最後は、区役所の南側、ちょうど東海道本線が柏尾川を渡る場所で終わろう。そこには戸塚区制50周年を記念する「戸塚」と大書された石碑が建ち、朝日橋という人道橋も架かっている。

 
 
 

 この橋から線路側を見ると、ホームがまさに橋の上まで伸びているのがよくわかる。最初はまさかこんなことはなかったのだろうが、列車がどんどん長くなるにつれてホームを延ばし、橋の上まで進出したにちがいない。

 柏尾川の堤防の下は、遊歩道になっている。犬を連れて散歩するおじさん、学校帰りに写真を撮りながら歩いている女子高校生、走り抜ける小学生。夕暮れの柏尾川沿いは、なんとものどかで、それでいて大都会・横浜の香りも存分に。

 

 そのすぐ脇を、15両編成の電車が駆け抜けてゆく。昔ながらの風情を残しながら、まったく新しい都市に生まれ変わっている町は、戸塚をおいて他にはなかなかないのではないか、と思うのである。

写真=鼠入昌史

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