箱根駅伝でも悲劇が…“横綱級の開かずの踏切”
この踏切、知る人ぞ知る名踏切といっていい。何しろ、ラッシュ時間帯には1時間のうち57分までが遮断機が下りていた“開かずの踏切”の横綱格。それも最近の話ではなく、昔から多くの人の頭を悩ませていた存在だった。
たとえば、箱根駅伝。箱根駅伝の踏切といえば、箱根の小涌谷踏切や2010年まで存在していた蒲田の踏切が有名だ。ただ、もっと前までは戸塚大踏切も通っていた。開かずの踏切は箱根駅伝でも変わらず、追い抜かんばかりに迫っていた大学が、戸塚の踏切で足止めを食らって逆転できず、優勝を逃したというエピソードまである。
また、かの吉田茂元首相も、邸宅のある大磯と東京の往来の折、きまって戸塚大踏切で大渋滞することに大激怒。さすがに天下の吉田茂に怒られたら放っておくわけにもいかず、1955年に少し北側に国道1号のバイパス・戸塚道路が開通する。これによって、クルマはそちらを通ることになり、大渋滞はいくらか解消された。また、箱根駅伝も戸塚道路経由になっている。
ただ、戸塚駅のすぐ北側、いわばかつての宿場町の真ん中ということもあって、バイパス開通後も踏切そのものは残された。地元の人にとってみれば、わざわざ遠くのバイパスまで迂回するのはあまりにバカバカしい。それに、クルマばかりでなく人も通るし自転車も通る。だから、バイパスができたところで完全に戸塚大踏切問題は解決していなかった。
2015年に廃止された踏切。痕跡が今も…
それがようやく、廃止されたのが2015年のことだ。すぐ北側に線路をアンダーパスする道路が通り、踏切の真上に跨線橋ができた。それによって、踏切を残しておく必要性がなくなって、2015年3月25日をもって廃止されたのである。