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大手新聞社に手紙を送ったが、何の返答もなかった

 その後、小池氏は防衛大臣になり、さらには総理大臣候補だと報じられるようになる。

 北原さんはその当時、カイロに住んでいた。エジプトは軍事国家であり、日本は多額のODAを同国に支援している。小池氏はエジプト政府とつながっている。

 そんな小池氏の最大の弱みを知ってしまっているのだ。自分さえいなければ、事実を知る人はこの世から消えるのだ。そう思うと、次第に恐怖を覚えるようになった。

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小池氏が1982年に講談社から出版した、初の自伝『振り袖、ピラミッドを登る』。北原さんの名前も存在も一切出てこない

 北原さんは人前に出ることを極力、避けるようになっていった。自分の住所を人に知られることを恐れるようになり、自然と交遊は狭められた。

 何かに怯えて、消極的に生きることを余儀なくされるようになってしまったのだ。何も悪いことはしていないというのに。

 北原さんは昭和16年生まれ。80代となり、人生の晩年を迎えた。そして、やはり自分には事実を伝える義務があるのではないか、黙っていることも罪なのではないか、との思いを強くしていった。そこでメディアに事実を伝えようと決意し、大手新聞社に手紙を送った。ところが、何の返答もなかった。権力者の不正を確かめようともしないのか、あるいは、権力者とメディアは完全に結託しているのか。ならば、自分の手紙がそのまま小池氏側に回ってしまう恐れもあるのではないか。

「早川玲子という証言者は実在しないのではないか」

 そんな中で、偶然、雑誌に書いた私の文章を目にし、「この人は小池さんの嘘に気づいているのではないか」と感じて、藁にもすがる思いで手紙を書き送ってくれたのだった。

 私は文藝春秋気付で届いた手紙を読んで、すぐに北原さんに会いに行き、何度も面会を重ねた。資料類も提供してもらい、雑誌発表を経て、『女帝 小池百合子』(文藝春秋)を2020年5月に刊行。社会的反響は予想以上だった。しかし、この時、北原さんの身の安全を図って「早川玲子」という仮名にしたことから、北原さんの証言に対する批判も湧き上がった。

「早川玲子という証言者は実在しないのではないか」「粘着質のおかしな人なんじゃないか」「出世して自分を省みなくなった小池氏に執着して嫌がらせをしているのではないか」「仮名で発言する人なんて信用できない」――。

小池氏の使っていたアイロン。1976年10月に急遽、日本に帰国してジハン・サダト夫人のアテンドをすることになった小池氏が、チケット代を工面するために北原さんに買い上げてもらったもの ©文藝春秋

 ネット上の匿名コメントではない。これらはいずれも著名人による批判の言葉だった。

 著者の私への批判はともかく、身の危険に怯えながら「学歴詐称」の重大証言をしてくれた北原さんへの心ない誹謗に、私は作家として責任を感じた。