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青学の駅伝ランナーが「トークもうまい」のは偶然ではない…原晋監督が選手探しでひそかに重視していること

source : 提携メディア

genre : エンタメ, スポーツ

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「僕が外したのは、1年生の時の9月の30km走だけです。でも、それは設定がきつめだったので、みんな設定通り走れない感じでした」

箱根を走るレベルの選手になると、「走りの記憶力」がハンパないと感じる。中学時代の3000mのレースで、どの地点でスパートをかけただとか、細かいところまで鮮明に覚えている選手が多い。しかし、飯田の記憶力はちょっと段違いで、しかもそれを面白く話せる力があった。たとえば、こんな感じで。

「1年生の時は箱根の8区を走ったんですが、直前に車で下見に行ったんです。でも、自分は8区は走らないだろうと勝手に思っていて(笑)、車の中で居眠りしちゃったんですよ。8区の難所には遊行寺の坂がありますが、実はその前にフェイクがあるんです。あ、ここが遊行寺かっていうような。そこで頑張っちゃったら、その後にホンモノの遊行寺の坂が現れて(笑)。あれはキツかったです」

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青学大は主将がメディアに登場する機会も多いから、話せば話すほど言葉が豊かになっていく。きっと、それは彼らの将来にも大きくプラスになっていくはずだ。

青学はマネージャーも企業から引っ張りだこ

そしてなんといっても青学大は「主務」がいい。主務のことをマネージャーのひとりと思っている人が多いかもしれないが、青学大で主務の仕事を大過なくこなせれば、一般企業では即戦力となると思う。

最初に縁が出来たのは2011年度の主務、橋本直也君だったが、彼は出雲駅伝で優勝した時に、「生島さん、やりました!」と私をハグしにきたので、思わず笑ってしまったほどだった。

橋本主務はもともとマネージャー希望で青学大に入学してきたという変わり種だった。マネージャーの仕事は多岐にわたり、日ごろの練習ではストップウォッチでタイムの読み上げをするが、「読み上げるのにも、選手のやる気を出せるようにするコツがありますね。上手い下手、あるんですよ」と教えてくれたのは箱根駅伝で初優勝した時の主務、髙木聖也君である。