競技面だけでなく、主務は広報窓口ともなる。テレビ、ラジオ、新聞・雑誌の担当記者との調整もするので、自然と大人と接する機会も多くなる。そこで監督、選手の意向と記者のニーズをすり合わせていくのも主務の仕事なので、1年間主務を務めるとトーク力がつくのは間違いなく、原監督が「主務は社会へ出るための登竜門みたいなものかな」と常日頃から言っているのも理解できる。
ありがたいことに、髙木君とはいまも交流があって、たびたび食事を共にする。年下の友人の就職から結婚、そして陸上とのかかわり方を遠くから見ている感じだが、必要とあらばヘルプしたいと思っている。陸上でつながった縁は、なんとも不思議なものだ。
青山学院は監督から始まって選手、主務、そして合宿所で時折話せる学生たちから「奥さん」と呼ばれている寮母を務める原美穂さんにいたるまで、とにかく関係者と話すのが楽しい。
楽しければ、思い入れも強くなる。たぶん、それが私の原稿を書く作業に元気を与えてくれていると思う。
そう、青山学院は私に元気を与えてくれるのだ。
生島 淳(いくしま・じゅん)
スポーツジャーナリスト
1967年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂を経て、ノンフィクションライターになる。翻訳書に『ウサイン・ボルト自伝』(集英社インターナショナル)のほか、著書多数。
スポーツジャーナリスト
1967年、宮城県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。博報堂を経て、ノンフィクションライターになる。翻訳書に『ウサイン・ボルト自伝』(集英社インターナショナル)のほか、著書多数。