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笠置シヅ子の実母は母親であることを認めなかった…17歳で自分が養子と知った昭和のスターの壮絶な生い立ち

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genre : エンタメ, 芸能, 昭和史, テレビ・ラジオ

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昭和歌謡界華やかなりし頃に「ブギの女王」として活躍した笠置シヅ子だが、私生活では肉親の愛に恵まれなかった。作家の青山誠さんは「シヅ子(静子)の両親は大阪で銭湯を営んでいたが、実はシヅ子は養母が故郷の香川でもらい受けた養子だった。シヅ子は17歳のとき、その事実を知って人生最大の衝撃を受けた」という――。

※本稿は、青山誠『笠置シヅ子 昭和の日本を彩った「ブギの女王」一代記』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

映画『銀座カンカン娘』の笠置シヅ子/左(写真=新東宝/PD-Japan-film/Wikimedia Commons)

松竹少女歌劇で活躍しはじめた17歳の静子は香川県へ

昭和6年(1931)、静子(のちの笠置シヅ子)は17歳になった。女学校に入学していればそろそろ卒業を迎える頃、親類や知人から縁談話が持ち込まれる年齢である。しかし、彼女は歌の練習と舞台に明け暮れる忙しい日々、異性に関心を抱く余裕すらなかった。

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研修生から楽劇部に正式採用されて、いまや松竹少女歌劇の舞台には欠かせない存在になっている。この世界で生きてゆくために、歌の練習にはいっそう熱心に取り組んだ。重要な役を任されることも増え、舞台稽古にも長い時間をとられるようになっていた。2週間に及ぶ公演が終わった頃にはいつも心身ともに疲労困ぱいして倒れそうになる。

もともと体が丈夫なほうではない。オーバーワークがたたり、気管支を悪くして寝込んでしまう。当分の間、舞台を休演するしかない。心配した母親のうめは静子と弟の八郎を連れて帰郷することに。大阪にいるよりは、空気のきれいな四国でしばらく静養させたほうがいいと考えたようだ。

香川県の引田(ひけた)から5~6キロほど西に、白砂青松(はくさせいしょう)の美しい眺めが広がる景勝地・白鳥(しろとり)海岸がある。昭和時代に入って付近に駅が開設されると、行楽客が増えて駅前には旅館や土産品店が建ちならぶようになった。うめは実家に寄らず、ここで親子3人滞在することにした。

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