家に週刊誌の人が来たことも

 学校にもわたしが赤井英和の娘だということがバレて、また後ろ指をさされるようになりました。マスコミの人たちがうちに来て、「暴露本を出しませんか?」と言われたりもしました。

 父がバツイチだということを知らない人が多かったみたいで。待ち伏せされたりもしたし、家で留守番をしていたら、週刊誌の人が来て「お父さんの昔のことを教えてもらえますか?」と言われて、怖かったです。なんで嵐山のなんの変哲もないマンションに来るんだ? なんで知ってるの? 母の職場にも来たりして、そこでわたしたちがなにか言ったところで、だれも幸せにはならない。わたしがハッピーになるわけでもないし、父も母も、いまの父の家族も、週刊誌を読む人だってべつにハッピーじゃないでしょと思いました。

©文藝春秋

父との再会、デビューの報告

 父にちゃんとデビューの報告をしたほうがいいんじゃないかということで、当時の事務所と、向こうサイドの事務所がそういう場を設けてくれました。

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 父にちゃんと会うのはサル山以来だったので、14年振りとか。母と姉と事務所の人も一緒に、京都から電車に乗って、大阪で会いました。

 会うということはわたしの話は聞いているんだろうけど、本当にわたしのことを覚えているのかなと不安でした。もちろん一緒に写っている写真もあるから知ってはいるんだろうけど、わたしのことをどう思っているんだろうとか。お父さんっていう人に会うってどんな感じだろうとか。もういろんなことを考えました。ホテルの部屋の扉を開けた瞬間、ライトがたくさんあって、明かりの中で父が立ち上がって、「おっきくなったなあ」と言われました。「あ、テレビのまんまの人や」と思いました。

 ハグされて、「これから十数年、空いていた溝を埋めていこうな」と言われて、泣くつもりなんかなかったのに、ワーッて泣いちゃって……。それはたぶん小さいとき、布団の中で泣いたりしていた自分を思い出して、あの小さい子が救われたというか、「もうあんな思いを、あの子はしなくていいんだ」と感じたんですよね。

 

 あのとき、わたしがなにを求めていたのか自分でもわからなかったけど、「わたしが欲しかった言葉をくれる人だな」と思いました。そっか、これって溝だったんだなと。かといってべつにまた家族4人で暮らすわけじゃないし、母と姉は複雑な思いを抱いていたみたいです。でもわたしは人前に出る立場で、いまはDDTだったり事務所だったり、いろんな“家族”がいる中で、父の立場もわからなくはないなと感じるようになりました。