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なぜ考古学者の道を諦めたのか?

――大学時代に海外に行かれるようになったのでしょうか?

丸山 考古学を学びながら空手も続けていて、空手の夏合宿で早稲田大学の人たちと知り合ったんです。一緒に練習させてもらうようになると彼らがタイに行く話を聞いて。ちょうどアジアブームもあって、猿岩石や沢木耕太郎先生の深夜特急のリバイバルブーム、HISが勢いよく伸びている時期で、自分も海外に出てみようと思ったんですね。そこから学校に通いながらバイトでお金を貯めては旅するスタイルになって、とにかくアジアに行かなきゃ!みたいになっていきました。

学生時代、まだ痩せていたころの丸山ゴンザレス

――その後大学院に進まれますが、卒業後は就職に苦戦したとか。

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丸山 それはもう時代の問題だったと思います。就職氷河期だったので。考古学者として就職するには、基本公務員の文化財担当とか博物館、研究所、大学の先生なり教育分野に入ることが大半で、普通だったら地方行政とかどっか引っ掛かるんですけど。でも時代的に不景気で公務員の倍率が上がりすぎた結果、本来人気がなかった文化財担当の枠を狙ってくる人が大量に現れたんです。元々公務員予備校に行って対策をしてきた人たちと、考古学の勉強しかしてこなかった自分が勝てるわけなくて。

 他にも大学職員なり別ルートがあればいいですよ。でも既に行き場のない先輩たちをいっぱい見てるわけですよ。研究室に先輩がいて、「先輩今なにやってるんですか?」って聞いたら「無職だよ」みたいな学問的には優秀な人を何人も見てるから。まずその人たちを超えないと考古学者として就職できないわけです。もう無理だなと思って。僕見切りは早い方なんで、ドロップアウトするというか、子どもの頃からずっとなりたかった道をそこで諦めちゃう感じです。

――考古学者浪人のようなことは考えなかったと?

丸山 ないですね。時代的にもネガティブな中で、自分だけうまいこと考古学者になれるなんて全く思わなかったし。どうしようかなって迷った挙句、夢とかじゃないなと。そこで初めて気づくというか。絶望するわけじゃなくて、もう前に道がないし、あ、俺何やってもいいんだってことに気づく感じ。別に考古学にこだわらなくても、とりあえず生きて行こうって新たな人生が始まっていきました。