もちろんいい先生もいました。普通だったら停学だけど、“昭和の名残”みたいな対応で水に流してくれたり。今思うと面白いですし、母校には感謝していますよ。いい学校になったと聞いていますので、まぁ、笑って振り返られるようになりましたね。
“空手が強かったから”高校時代は学級委員に
――ゴンザレスさんはそのメンバーに入ることはなかったですか?
丸山 僕、悪くなかったですよ。ちゃんとしてたし学級委員だったから。
――えっ? ゴンザレスさんが学級委員?
丸山 学級委員は強くなきゃなれないんです。そいつらを束ねていかないといけないから。当時空手もやってたし、学級委員ってなんとなく体格良くて強いよねっていうやつか、気が弱くて押し付けられたかどっちかだけです。別にグレることに興味もなかったし、それより旅とか本を読んでる方が楽しかったですね。
そもそも学校生活に意識が向かなかったというか。変な話、僕のようなものが言うのもなんだけど、高校を卒業してここから外に出て何かしていくような環境じゃなかったですね。3年間何となく過ごして地元に就職してくような空気があって、僕もそうなるんだと思ってたんですけど。旅するごとにここじゃない場所に常に行きたかったし、地元の圧迫感みたいなものはずっと感じていました。
――高校卒業後、國學院大学に進学。子どもの頃から考古学者を目指して國學院大学を選んだそうですが、学校生活はいかがでしたか?
丸山 面白かったですよ。いいところに就職しようとか、パリピみたいなやつがいるわけでもなく、考古学に憧れがあって入って来た人ばかりなので。偏差値が超高いわけでもないんですけど、たとえば地方国立大学に受かってても蹴ってくるやつとか、六大学受かっても考古学を勉強したくて入ってくるやつとかいるわけですよ。
実際はインディー・ジョーンズみたいなワクワクとは違う。もっと地味で面白くないよってわかってるけど、それとは別に学問に対する興味とか憧れがすごくあったんです。専門書とか論文読むのも楽しかったし、伊豆七島や日本海側の島で発掘したり、神社関係者も多かったので神社内にも足を運ばせてもらったり充実してましたね。
中には、高校くらいからボランティアで発掘調査をして大学入学時には研究テーマが決まってるような考古学エリートと言われる人もいましたけど。自分はそれよりも考古学や歴史を深く学んでいって、自分の好きなことにフィードバックしていく。自分のライフワーク…、結局それが旅になってくるんですけど、何かフィードバックしていく感じが好きでした。
あと、よく研究室に行ってはタバコ吸いながら考古学的な話をして夕方になると先生が「じゃ、飲みに行くぞ」って。國學院の先生たちは酒飲みばっかりだったので、それもすごく良かった。先生から「お前はもっと王道も勉強しろ!」とか頭引っぱたかれながら(笑)、酒飲んだりして、先生も個性的な人が多かったし楽しかったですね。