日本のウラ社会や世界の危険地帯を取材し、テレビやYouTubeなどで人気を集めるジャーナリストの丸山ゴンザレス。考古学者を目指していたはずの旅好き少年は、いかにして現在の道を選んだのだろうか。本人の言葉と共に足跡を辿る。(全2回の前編/続きを読む)
子供の時、西成暴動の映像を見て「え!? 日本でこんな場所があるんだ!」
――世界各国を巡られていますが、子どもの頃はどう過ごされていましたか?
丸山 親父の趣味が多彩で、親父がキャンプやアウトドア、同時に遺跡や古墳、博物館とか色々連れて行ってくれましたね。小学生の頃は家の近所に刑務所があって、友達と入ってみようとしたら怒られたり(笑)、好奇心の強い子どもだったと思います。
――はじめて一人旅をしたのは、高校1年生の終わりだったそうですね。
丸山 僕の地元は仙台ですが、当時僕にとって仙台という街が全てというか。テレビとか観ていると自分が住んでいる場所は世界の中の日本で、仙台は東京でも大阪ですらない地方の一つ、自分がいる場所が凄く小さな場所だって思っちゃったんですよね。だからどこか遠くに行きたい。ここから飛び出して違う景色を見てみたいって気持ちが強かったんです。それで高校1年生の終わりに青春18きっぷで日本を巡ってみようと思いました。
当時JR職員だった親父もそういうことに寛容だったので、親父からでっかい時刻表を渡されて、何の予備知識もないまま地図とか地名を見ながら何となくここ行ってみよう!っていうのを高校卒業するまでずっとやってましたね。
――どのあたりに行かれましたか?
丸山 京都や奈良、滋賀、島根、鳥取に、あと大阪の西成とか。西成暴動の衝撃映像みたいなものを家で見て「え!? 日本でこんな場所があるんだ!」って驚いたし。日本を旅しながらサブカルチャーとか歴史的なものも興味があって、同時進行で追いかけていく感じでした。
――旅を充実させながら、高校時代は思うような日々ではなかったとか。
丸山 大失敗です(笑)。人生の中の挫折を振り返ると、高校受験と就職くらいかなと思いますね。でも、それだけ挫折してれば十分でしょ。滑り止めの学校にいくことになって、当時基本的に地元の公立高校に行くのが当たり前だったので落ちるとは思ってなかったんです。入学した後もなんで俺ここに通ってるんだろうって長いこと思ってました。スポーツが盛んな学校だし、今となってはすごく感謝してますよ。普通の公立高校に行っていたらできなかった体験もいっぱいあるから感謝はしてますけど、当時は嫌で嫌でしょうがなかったですね。
――どの辺が嫌でした?
丸山 当時はろくな高校じゃなかったですからね、自分にとっては。進学校に落ちてそこそこ頭のいい大学を目指すか、スポーツエリート崩れのヤンキーみたいなやつしかいなかったんですよ。当時俺がいたクラスは普通科でしたが、ソフトボールやったら柵越え連発とか、バスケやると中学のとき県選抜だったやつが高校ではレギュラーになれなくて腐ってたり、そんなやつがたくさんいるんです。修学旅行に行っても途中で地元のやつと喧嘩したり、まぁ諸々悪さしたりでどんどん人数が減ってくんですよ。自分の学年だけでも修学旅行で15人以上停学くらってるから。