「“です”なんて丁寧語使うこたあねえよ。お互いホームレスなんだからよ。俺なんて56のクソじじいだからよ、もう誰も相手にしてくれねえんだ。親の遺産が240万入ったんだけどよ、全部パチンコに使っちまっただよ」

 取材のため2021年7月23日~9月23日までの約2ヶ月間をホームレスとして過ごした國友公司氏が出会った、上駅前のホームレス・寅さんとのユニークな生活模様を紹介。新刊『ルポ路上生活』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

筆者が出会ったホームレス「上駅前の寅さん」との不思議な生活模様をお届け。写真はイメージ ©getty

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上野駅前の寅さん

 8月15日。

 いつ空を見上げても降り続ける雨は一向に止む気配を見せない。白鬚橋周辺の隅田川は人通りが少なく天気の良い日には適しているが、雨の日はここにいていいことがない。私は再び四郎のいる上野駅前の通路に戻ることにした。

 15時半に駅前通路に着くと、すでにホームレスたちがダンボールを敷いていた。四郎の話だと17時にならないとここにはいられないとのことだったが、雨の日は例外らしい。中には早くも寝転がっている人もいる。

 しかし、いつも四郎が寝ていた場所にいるのは四郎ではなく、50代くらいの小太りの男だった。金魚のように目がギョロリとしている。どんなに服が汚れているホームレスでも、普通寝るときはダンボールを敷くものだ。しかしこの男、昨日酔っ払いが小便をしたかもしれない場所に何も敷かずに直に寝てしまっている。

 ダンボールは3枚繋げると敷布団ほどの長さになる。重ねることで寝心地が大きく変わるので、私は計6枚のダンボールを二枚重ねにして寝床にしていたのだが、この男に半分あげることにした。

(写真:筆者提供)

「おー兄ちゃんありがとよ。お前さん、優しいんだな」

 巻き舌のひょうひょうとした話し方が特徴的なこの男は現在56歳。38歳のときに上京し、以来警備員などの仕事を転々としているという。

「俺は新潟県柏崎市の生まれなんだけどよ、お前さん生まれはどこなんだい」

「僕は東京です」

「“です”なんて丁寧語使うこたあねえよ。お互いホームレスなんだからよ。俺なんて56のクソじじいだからよ、もう誰も相手にしてくれねえんだ。親の遺産が240万入ったんだけどよ、全部パチンコに使っちまっただよ。兄弟に金を借りてしのいでいたらそのうち新潟を追い出されちまった。俺なんて寂しい人間よ。フーテンの寅さんみてえなもんだな」

 新潟では柏崎刈羽原発の警備員として9年半働いていた寅さん。年3回のボーナスを入れて年収は300万円だった。しかし、その給料も遺産もあっという間にギャンブルと酒に消え、兄弟に金をせびりまくった末に絶縁され、上野にやってきた。北の人間が上京するときは、新宿でも渋谷でもなくやはり上野なのだという。

「東京ではもう警備員の仕事もないですか?」

「ないよ。ガードマンの仕事も9社落ちちまった。コロナで仕事がないんだとよ。残った金で、サイバー(上野駅前のパチンコ店)で勝負かけたけど全部スっちまっただよ。それでこの様だよ。もう笑ってくれよ」