今さらながら補足させてもらうと――江戸の大きな「本屋」は書店だけでなく出版社と取次(問屋)も兼ねていた。扱う本は「書物」と「草紙」に大別された。書物は神仏儒、古典、歌書、学問などのお堅い出版物。草紙といえば肩の凝らないジャンル、子ども向けの絵本に大人の娯楽本、吉原細見なんぞも含まれる。高尚な書籍は「書物問屋」、エンタメ本や浮世絵なら「地本問屋」が扱う。両者の区別はハッキリとつけられていた。
蔦重の次の目標は地本問屋に成りあがることだった。
とはいえ、地本問屋は書物問屋から格下に見られていた。というのも、地本の「地」には文化の中心の上方から遠く離れているという意味合いがある。地方とは田舎のこと、京・大坂からみれば江戸もまた関東にある地方。地本に地酒、地女……いずれにも軽視と侮蔑が漂う。上等、上質な書物は上方から江戸へ下ってくる。そうでないものは「下らない」のだ。
「蔦重の本を読むと江戸がいちばんってえ気になってくるぜ!」
ほどなく蔦重は地本問屋の株を手にいれる。
その頃には江戸が政治だけでなく、経済や人口でも上方を凌駕するようになっていた。
蔦重は意中の戯作者を起用し、ナンセンス、滑稽、おちょくり、悪ふざけを満載した肩の凝らない作品を送り出す。そこには粋や通、はり、穿ちといった江戸ならではの美意識が根付いていた。
「蔦重のこさえるモンは粋じゃねえか」、江戸の民衆は江戸っ子気質を感じ取った。
「粋」は最大級の褒め言葉、反対に「野暮」やら「半可通」といわれれば返す言葉もない。
「蔦重の本を読むと江戸がいちばんってえ気になってくるぜ!」
蔦重が原動力となった地本ムーブメントの到来は、「京・大坂の本のほうが上等」というパワーバランスまでひっくり返してしまったのだ。