球場には終末感が漂っていた
98年にチームが38年ぶりの優勝を果たし、20世紀も終わりになる寸前の2000年初め、3月末をもって川崎球場が老朽化したスタンドを取り壊すこと、当初横浜で開催予定だった千葉ロッテとのオープン戦を川崎球場ラストゲームとして行うことを知り、一も二もなくチケットを購入した。川崎球場の文字通り最後の試合を目に焼き付けるべく、十何年ぶりに川崎駅から歩いているときに遭遇したのが冒頭の大行列だ。
前売り券はとっくに完売し、係員が「当日券の販売はありませーん」と連呼する中、1時間近く並んでやっと球場正面の内野席入口ゲートまで辿り着いた。昔ながらの薄暗い通路を抜けて内野スタンドに出ると試合はもう2回。楽しみにしていた平松政次と土井淳の始球式は観られなかった。
内野席はすでに満員。中学校の中間試験中で観に行けなかった「10.19」もこんな感じだったのかな、と思いながら席を探すがどこも空いていない。作りが古いから通路が狭く、しかもみんなそこかしこに座り込んでいるから移動も大変だ。外野席に抜ける門が開いていたので、レフト席まで行ってやっと座ることができた。改めて見渡すと、実測センター118m、両翼89mのグラウンドは本当に狭い。80年代でも狭いと思っていたけど2000年基準ではなおさらだ。この日はロッテが計10本塁打、22対6で大勝。あの小坂誠が1イニング2本塁打を放った点でも伝説的な試合になったが、その事実が余計に川崎球場の終末感を演出していた。ここはいろんな意味で、プロが試合できる球場ではなくなってしまった。
それでも僕は川崎球場でベイスターズの白いユニフォーム姿が観られて満足だった。一塁側スタンドではおそらく川崎時代の大洋応援団によるものだろう。「まるは」マークにホエールズ坊やがあしらわれた団旗がいくつも掲げられ、盛り上がるロッテ応援団に譲るような形で終始静かに見守っていたのも印象的だった。大洋ホエールズは昔ここを出て行ってしまったけど、プロ野球が行われる最後の記念すべき日に、ベイスターズとして川崎に戻ってきたのだ。
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