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しかも大輔氏は、転居後に和英会長から「1年間の育児休業を取得せよ、その間に転職先を探せ」と命じられる。婿入り時に約束された「近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する」という合意はあっけなく反故にされ、逆にミツカンから出ていけとの命令だ。

そして息子が生まれて4日目の2014年9月1日、義父母がロンドンの大輔氏を訪ねてきた。

「あの日のことはいまも鮮明に脳裏に焼き付いています」

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大輔氏はそう振り返る。

「ロンドンの産後ケア施設にいた僕たち夫婦のもとに、突然、日本から義父母がミツカンの常務を引き連れてやってきたのです。そして和英会長は『養子縁組届』なる書面を突き付け、この場でいますぐ署名しろと迫った。生後4日の僕たちの息子を自分たちの養子に差し出せというのです」

「中埜家に日本国憲法など関係ない!」

「隣にいたミツカン常務は、署名させるため自分のペンを差し出していました。呆気にとられた僕は『せめて夫婦で話し合いたいから一晩だけ考えさせてください』と懇願するのがやっとでした」

しかし、これに対して和英会長は大激怒。

「当主に逆らうのか!」
「この場でサインしなければお前を片道切符で日本の配送センターに飛ばしてやる!」
「中埜家に日本国憲法など関係ない!」
「お前は謙虚という言葉の意味がわかっていない!」

和英会長は大音声で大輔氏を恫喝。産後間もない聖子氏は恐怖のあまりわが子を抱きかかえたまま廊下にうずくまり、鬼面のごとき実の父の形相と怒声に声をあげて泣き続けていたという。

このままでは私たち夫婦は乳飲み子を抱えたまま本当に放逐されてしまう――。

ほとんど錯乱状態となった妻の懇願を受け入れ、結局、大輔氏はその夜のうちに署名せざるを得なかった。

婿として迎え入れる際は甘言を尽くし、いざ男児が誕生するやその子を奪い取るべく脅す。そればかりか、養子縁組届に署名させるや、今度は妻との別居まで命じられてしまう。そして実際、またもや恐怖におののく妻の懇願を受け入れざるを得なくなり、大輔氏夫婦はロンドン市内で別居生活を余儀なくされる。