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長女も7代目当主の祖父と20歳で養子縁組

「とにかく妻は両親からの命令に絶対服従でした。幼い頃からそういうふうに育てられていたのでしょう。別居しなければ強制的に離婚させるとまで脅されていたのです。しかし僕たち夫婦の愛情は変わりありませんでしたから、これも妻の提案で、僕ら夫婦しかアクセスできない会員制サイトに『秘密の家族』と題したブログをつくり、そこで愛情を確かめ合う投稿を互いに続けることで絆はつながれていました」

夫への愛情は大切にしながら、親に対しては面従腹背――。妻・聖子氏のそんな態度を理解するには、ミツカンおよび中埜家において当主・和英会長と美和副会長夫妻がいかに絶対的な権力者、君主であったかを説明する必要がある。その一端は裁判でも明らかにされた。

夫妻には冒頭で触れた通り2人の娘がおり、聖子氏は次女。婿をとっての跡継ぎは当然、4歳上の長女・裕子氏(現ミツカン社長)が担うはずだった。実際、長女は20歳のとき、8代目という実父がいるにもかかわらず祖父である7代目当主の養子となっている。

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これは、ミツカン中興の祖として崇められていた7代目の養子とすることで、長女こそ正当な9代目であると内外にアピールする狙いがあったのだろうと見られている。

「恐怖心から親に絶対服従するしかなかった」

「ところがその直後、東京で大学生活を送っていた長女は男女問題で両親を大激怒させる“事件”を起こしてしまい、失脚。代わりに今度はまだ19歳だった聖子が7代目の養子となり、ミツカン内でも後継者として役員ポストを経験させ、後には代表取締役になっています」

一般家庭の感覚からすれば異様とも思えるこうした家族・親族のもとで育った聖子氏にしてみれば、内心では夫への愛情を守りたいと思ってはいても、やはり恐怖心から親に絶対服従するしかなかったのだろう、と大輔氏も振り返る。

「ロンドンでの別居は、僕ら夫婦にとっては見せかけで、実際には密かに会ったり秘密のブログでお互いを励ましあったりしていました。そのやりとりは後に裁判でも証拠として出しています。けれどその後、和英会長が最初に恫喝した通り、僕に日本の物流センターへの配転命令が出ます。