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今回大輔氏が英国での闘いを決意した背景には、元妻・聖子氏がロンドンに居住していると思われることと、一連のこの事件について、英国でも大々的に報道されている事実がある(英高級紙『THE TIMES』2021年6月24日付)。

さらに、大輔氏はミツカンを解雇された直後の2021年6月、外国特派員協会からの求めに応じる形で記者会見も開いたが、多くの外国人記者らが驚きをもって質問してきたという。

「このような親子引き離しは重大な人権侵害だし、児童虐待として犯罪行為に当たるのではないか、という指摘もありました。日本の大手メディアは関心を示しませんでしたが、欧米ではその後、例えば英国の『BBC』が親子の権利、子どもの権利をないがしろにしている日本の親子法制などを問題視する特集番組を報道しています」

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英BBCといえば、一連のジャニー喜多川氏による性加害問題をいち早く世界に向けて報道し、日本の大手メディアも無視できずにその後の流れを導いたことでも知られる。

ミツカン広報「子供が養子となった事実はない」

こうした一連の経緯について、ミツカングループ広報は、「本件につきましては個別の取材はお受けしておりません」としたうえで、「中埜大輔氏と聖子の間に生まれた子供は、中埜和英、美和の養子となった事実はございません」と、養子の件については否定した。

これは正確に表現すれば、養子縁組を「しなかった」のではなく「できなかった」のである。

大輔氏が、息子の誕生から4日後に和英夫妻から養子縁組届に署名を強要され、その夜のうちに署名せざるをえなかった経緯はすでに触れた。2014年9月のことである。

そして実際、和英夫妻は翌2015年1月、署名させた届けを添えて、夫妻の居住地である愛知県半田市の市役所に養子縁組書類を提出している。

しかし、それは市役所によって拒絶されたのだ。なぜなら、大輔氏は無理やり署名させられたあと、妻と話し合ったうえで、2014年12月、日本大使館に養子縁組届の不受理届を提出していたのである。強要されて署名はしたものの、なんとか息子を奪われないようにしたいという父親としての必死の抵抗だった。

その1カ月後に和英夫妻は半田市役所に提出したものの、実父による不受理届が有効であったために養子縁組できなかったのである。この経緯は、裁判で和英夫妻側も認め、事実認定されている。

大輔氏の「父子の絆を取り戻す闘い」は、今後は海を越えて英国でも展開される。「どうしても男児を世継ぎにしたかった」という異様な家族関係は、海外であらためて注目を集めそうだ。