日本の学校は伝統的に、問題を抱えた子に対して、授業の中ではなく、授業外で支えることで、その問題を乗り越えようとしてきた。荒れた学校ほど、部活と行事と生徒指導に力を注ぎ、家庭訪問等を含む授業外の個別指導によって支えるというモデルである。「金八先生」や「泣き虫先生」など、放課後に子ども一人ひとりに寄り添う献身的な教師の姿は、教師にとっても保護者にとっても憧れの存在であった。実際、問題のある子ほど、授業外の方が生き生きした姿を見せてくれたことも事実である。
しかしそのロールモデルが、今日のブラックな勤務環境とプライドの失墜を招いているといっても過言ではない。文科省による勤務実態調査では、授業関連業務時間は総勤務時間の4割前後であり、授業関連以外の業務時間の方が長い状態にある。国際比較では、授業関連が総勤務の半数を割っている国は存在しない。
各政党の公約を見ても、給食や放課後等のことばかりで、授業について言及している政党はなく、著しい授業軽視の状態にある。
日本の現代学校モデルは30年遅れで始まった
筆者は、年間3000件以上の生徒指導事案を抱える学校に外部支援者として携わったことがあるが、一定数以上の困難な子どもを抱える学校では、授業外で支えるというモデルは教師の時間的にも肉体的にも限界で、破綻をきたす。一方で、このような困難な学校でも、授業改革を行い3年で、生徒指導50件未満まで減少した。授業内で子どもを支えることはこれほどまでにパワフルなのである。そのため世界は、授業づくりに力を注いだ30年であった。毎日6時間ある授業というものが我慢の場ではなく、仲間と先生に大切にされ、一人では無理なことと出会える場にすること、新しい授業が子どもを支えるのである。
伝統的な一斉授業は、どの国でも約140年前に成立したシステムであり、富国強兵と道徳教育を志向し、国家や産業界への人材供給を目的とした近代学校モデルからなる。一方、現代学校モデルは、一人ひとりが、「よりよい人生を歩むために、文化・学問・他者・自己と出会う場」と定義され、人は「材」ではない。この転換の実質的なきっかけは、ベルリンの壁崩壊であった。移民が増加し、均質性を好む一斉授業が機能しなくなる中、公教育とは「多数派ができることに近づけることではない」ということを世界は学び、90年代に一斉授業は終わりをつげる。日本では約30年遅れて近年、一斉授業からの脱却のための新学習指導要領が施行された。