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家族で『風雲!たけし城』を見ていた子ども時代

――恵さんはエジプトの紅海の街で育ったということですが、生まれはエジプトではないそうで。

 生まれた場所はクウェートです。当時お父さんがクウェートで仕事をしていて、そこでお母さんと出会って私が生まれたんです。

恵さんを抱っこをしているのはエジプト人の父親とイラク人の母親 (本人提供)

 ただ、クウェートは、国籍をくれないんですね。ある一定期間その国で生活すれば帰化できる場合が多いと思うんですけど、クウェート人が国際結婚をしてクウェートで子どもを作っても、生まれた子どもはクウェート国籍にならないんです。めちゃくちゃ、厳しい。私の母親はクウェート生まれのイラク人で、20年以上クウェートに住んでいましたけど、クウェートの国籍は持っていません。

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 国籍に関してはシビアですけど、お金持ちの国ということでありがたいこともありました。妹が生まれたタイミングで湾岸戦争が起こったので、家族でエジプトに戻らざるを得なくなったんですが、戻ってから数年後、謝罪の意味でクウェート政府から補償金が出たんです。両親はそのお金でカイロに家を買うことができました。大都市に家を買えるようなお金をくれるなんてすごいなと、小さいながらに思いました。

――湾岸戦争の記憶はありますか。

 小さかったからまったく覚えてないんですけど、父親が今で言うYouTuberみたいな感じで、動画をいっぱい撮ってビデオにしてたんです。だから、あとからそのビデオで見て何があったか知ったという感じで。

――お父さんが撮った湾岸戦争下のビデオで印象に残っているものはありますか。

 私たちの暮らしを撮ったものはおもしろかったです。ビルの下にベースメントがあって、そこにジムやサウナが完備されているんです。戦争中は皆そこに隠れて生活してたので、何事もなく助かったんです。

 あと、父が撮ったものではないですけど、家族で好きだったビデオというと、『風雲!たけし城』ですね。

©︎細田忠/文藝春秋

――80年代の日本の人気番組『風雲!たけし城』を、湾岸戦争下のクウェートで見ていたんですか。

 お父さんは柔道の先生をしていて日本文化に興味があったんだと思います。どうやって手に入れたのかはわからないのですが、『たけし城』はよく見ていました。エジプトに戻ってからもしょっちゅう見てて、『だるまさんがころんだ』と『すもうでポン』が大好きで、自分もやってみたかった。

――クウェートからエジプトに戻られる際に『たけし城』のビデオも一緒に持って行っていたのかなと思うのですが、戻るのは大変だったのでは。

 クウェートからエジプト直のルートは危険だということで、他国を経由して車で逃げてきました。車に積み込める分しか荷物は持って行けなかったので、ハルガダに戻ったばかりの時は本当にお金もなかったと思います。