パレスチナからの凄惨なニュース映像を見ながら思い出す、17年も前の報道写真がある。2006年にネット掲示板にいた世代なら、あるいは記憶にあるかもしれない。

 当時、パレスチナのガザ地区で行われた、幼い兄弟3人が犠牲になった車両銃撃事件に対するデモ行進。その中で1人の少女が掲げるプラカードに、日本のアニメキャラクターの絵が貼られている、AFP通信の写真だ。プラカードにはアラビア語の文字。AFP通信の記事は、「写真はガザ市で14日、『子どもを殺さないで』と書かれたプラカードを手にデモに参加する少女」という説明をつけている。

 当時それが日本のネット掲示板で衝撃だったのは、そのキャラクターが涼宮ハルヒだったからだ。元記事となったAFP通信の記事は十数年の時を経て消えてしまっているが、インターネットには記事を転載し、当時のネット掲示板の反響をまとめたブログがいくつも残っている。

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「コラージュかと思った」という驚きや喜びとともに「なぜハルヒが」と不思議がる声も出た。『涼宮ハルヒの憂鬱』はその同じ2006年の春に関東では東京MXなどの独立UHF(大きなキー局の系列に属さない放送局)の深夜帯に放送を開始したばかり、海外放映どころかまだ東京キー局すら放映されていなかったのだ。

 日本には世界的に有名なアニメ、反戦をメッセージにした作品が多くあるのに、有名でも政治的でもない涼宮ハルヒの画像を、あの時パレスチナの少女はなぜ選んだのだろうか。

撮影された「パレスチナのハルヒ」 ©時事通信社

 その3年後、2009年2月15日に、日本の小説家としてイスラエル最高の文学賞、エルサレム賞を受賞した村上春樹は、「壁と卵 – Of Walls and Eggs」と題した有名なスピーチをエルサレム市内の会議場で行う。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。」

 そのスピーチの「壁と卵」の比喩はなぜかあの、「子どもを殺さないで」と書かれたプラカードに張られた涼宮ハルヒの粗末な白黒印刷を思い出させた。

「パレスチナのハルヒ」が予感させた「インターネットが全世界をつなぐ新しい時代」

 20年近く経った今もなお、あのガザ地区の少女がどうやってその画像を手に入れ、なぜプラカードに掲げたのか、「パレスチナのハルヒ」の謎は解けていない。だが当時、その報道写真が鮮烈だったのは、インターネットが全世界をつなぐ新しい時代の始まりを感じさせたからだ。

 まず日本で国民的ヒットになり、次に欧米で評価され、最後に第三世界にまで届く……というプロセスを飛び越え、東京キー局ですらまだ放送されていない深夜アニメのキャラクターが半年でパレスチナの少女のプラカードに登場してしまう。

 プラカードに貼られたハルヒは白黒で、ネットの画像を安価なプリンターで印刷したものに見える。翻訳出版も放送もないパレスチナで、涼宮ハルヒの画像を手に入れる方法はネット以外に思いつかない。UHFの深夜から瞬く間にネットで全国に広がり、海の向こうまで届いた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、新しい文化の勃興を象徴する作品だった。