京都アニメーションの作品で、政治的なメッセージを前面に出したものは少ない。だが、『涼宮ハルヒの憂鬱』も『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』も、システムという壁に阻まれる個人の魂を描いてきた作品だ。
20年近く前のあのパレスチナの少女は、おそらく『涼宮ハルヒ』の本編を見てはいなかっただろう。だが何者も恐れない笑顔で全世界に向けて指を突き付ける涼宮ハルヒは、あの『子どもを殺さないで』というアラビア語のプラカードにとてもよく似合っていた。
ネットにあふれる膨大なディズニーやジブリの画像ではなく、自分のプラカードにこのかわいい絵を置きたい、とあの日パレスチナの少女が感じたことには、それなりの理由があった気がするのだ。
それは京都アニメーションが描いた、現実の壁に砕かれない卵の文化を象徴するキャラクターだ。岡田斗司夫が「肯定と共感を求める弱者のたまり場になってしまった」と嘆いた文化は、不思議にもそのことによって世界中の弱者に広がっていったように思える。
あの『パレスチナのハルヒ』を少女がプラカードに掲げたデモから17年が経った。今、彼女がいるはずのガザ地区には、激しい空爆と地上侵攻が襲い掛かり、世界が息をのんでいる。爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾を硬く大きな壁に、それらに潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民を卵に村上春樹が喩えた通り、今再び、卵は壁の前に砕かれようとしている。バイデン大統領やヒラリー・クリントンのような、アメリカのリベラル政治家ですらそれを止めようとはしない。
しかし、17年前から変化したこともある。アメリカ世論の変化、それも若い世代の平和を求める世代の声だ。Z世代と呼ばれる、共感を求め他人を傷つけることを嫌う若い世代は、過去のアメリカ世論では考えられないほどパレスチナ住民の苦境に共感を寄せ、空爆の停止を求める世論調査が出ている。それはかつて岡田斗司夫が「共感を求める弱者のたまり場になってしまった」と日本の若いオタクを分析したのと同じ、世界的な傾向だ。卵の文化は今、世界中に広がり、孵化しようとしている。
あの日のパレスチナにいた「ハルヒ」が見すえるもの
1902年に書かれた『古く新しい土地』という、日本語に翻訳されていない小説があるという。ユダヤ人ジャーナリストとしてヨーロッパでの差別に苦しんだテオドール・ヘルツルが、パレスチナ住民や周囲のアラブ人と互いに認め合い共存する平和なイスラエル国家の建設を夢見て書いたユートピア小説だ。
システムとしての壁に変質する前、国家は傷ついた人々の卵のような夢から始まる。日本のライトノベルも、100年前にユダヤ人によって書かれた小説も、卵が壁に砕かれることのないユートピアを夢見て書かれた物語なのかもしれない。
あのハルヒの絵をかかげた少女は、生きていればもう二十歳にはなったはずだ。「ハルヒの絵の少女」はまだ生きているのだろうか。いつか彼女が自分の卵、ユートピアについて語ることができる世界は来るのだろうか。
「もしもあなたが望むのならば、それはおとぎ話ではない」
ついに実現することのなかった平和なイスラエル、ユダヤ民族とアラブ民族が共生する国を描いたユートピア小説、『古く新しい土地』には、そう記されているという。
私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。
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