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なんでここに涼宮ハルヒが…“パレスチナのハルヒ”と“17年後のユートピア”

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2023/11/11
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「目立たなくていい」はずが…社会と文化を変えた渦中で起こったこと

 ハルヒが非現実を現実にしていくように、『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品のブレイクが現実の社会文化を変えていく、後藤邑子はその歴史的な地点に声優として立ち会うことになる。

2006年に発売された公式ムック『涼宮ハルヒの公式』(角川書店)

 飛ぶように売れたであろう当時の公式ムック、『涼宮ハルヒの公式』には、武道館ライブで「SOS団」として『ハレ晴レユカイ』を踊る平野綾、茅原実里、後藤邑子の3人が大きな写真でライブレポートともに掲載されている。目立たなくてもやれる、病気を抱えていてもやれると選んだはずの声優の仕事は、時代の流れとともにアイドルをしのぐような人気業種に変化していった。

 だが同時に、天から降り注ぐようなブレイクの人気のかげで、彼女の身体は少しずつ悲鳴を上げていく。後藤邑子の自伝で息を呑むのは、その成功の陰で健康を害していくプロセスである。

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 彼女は事務所に持病を隠し、医師の勧める精密検査を拒否し、ついには医師との押し問答を嫌って病院にすら行かなくなり、処方の切れた薬の代わりに根拠の薄弱な民間療法にすがるようになる。

 それも限界に達した2012年5月、マネージャー3人がかりで説得され、誤魔化しきれずに受けた精密検査により、後藤邑子はすべての仕事から降板し、再び長い入院生活を送ることになる。そこから書かれるのは輝かしい作品や仕事の話ではなく、投薬による意識障害や、入院生活の中で出会った人々との物語だ。

 入院は1年を超え、声優への復帰がゆっくりとはじまるのはさらにその後になる。声優に復帰後も、投薬の副作用による大腿骨頭壊死の治療など、病は彼女の人生に現れ続ける。

若くして亡くなった妹に共演者、そして…交差する生と死

「涼宮ハルヒ」シリーズに登場する待ち合わせ場所のモデルとなった時計塔に作品のファンが訪ねることも

 自伝の終盤、2017年に後藤邑子は『ハルヒ』に再会する。『アニサマ2017』のイベントで、SOS団を演じた声優たちともう一度『ハレ晴レユカイ』をステージで踊るのだ。「生きていてくれてよかった」ミュージカル女優として地位を築いた平野綾、アニメ界で活躍する茅原実里は練習日の再会を喜び、後藤邑子はふたたび、ゆっくりと踊り始める。