独立局の深夜放送から一躍スターダムに
日本のネットにはエンディングテーマ『ハレ晴レユカイ』のダンスを踊る動画があふれ、『涼宮ハルヒの憂鬱』は当時のネット文化を象徴する作品になるまで大ブレイクした。京都アニメーションは全国にその名を知らしめるとともに、3人の若い女性声優を一躍スターダムに押し上げることになる。
涼宮ハルヒ役の平野綾。長門有希役の茅原実里。そして朝比奈みくる役の後藤邑子。UHFの深夜アニメであるが故に若いブレイク前の声優たちがメインを固めた布陣が、そのまま新しいスターの誕生をもたらす結果となった。
9月12日に出版された後藤邑子の自伝『私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。』は、『涼宮ハルヒの憂鬱』でハルヒの友人である朝比奈みくるを演じた彼女の半生を綴った書籍だ。
長いタイトルは「病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も」という結婚式での宣誓の言葉をもとにしている。だが自伝を読む読者は、あの有名な誓いの後に続く「死が2人を別つまで」という一文を思い出すだろう。そこに書かれているのは、中学生で深刻な持病を抱えた彼女が、卵のように脆い健康のバランスを抱えながら声優を目指す半生の記録だ。
「自分の人生はいつまで続くかわからない」
後藤邑子がまだ中学生だった頃から、死は彼女のすぐ隣に立っていた。健康に恵まれ、中学でスパルタ指導のバレーボール部に入った後藤は、ある日診断を受けた病院で「特発性血小板減少性紫斑病」という聞いたこともない病名を告げられる。
「ちょっと高校生になるのは、あきらめてもらうしかない」すぐに入院を求める医師の言葉を、「高校受験を見送るほどの長期入院なのか」と解釈した彼女は、やがて医師の言葉の真の意味を知る。医師は彼女の両親に「夏休みいっぱいだろう」という余命の可能性を伝えていたのだ。
偶然にも主治医の恩師が血液学の権威だった幸運に恵まれた彼女は、大病院に転院して当時まだ一般的ではない先進的医療を受けることになり、危うく死から逃れることになる。
幸運にも命を取り留めて学校生活に戻ることができたものの、後藤邑子の人生はそれまでの活発なスポーツ少女から一変し、薬の副作用による肥満と吹き出物を思春期の身体に抱えることになった。