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「あの役を演じるためには、実際にこうした体験をした人々の思いに可能な限り近づくことが大切だった。描かれる状況を現実として信じ、繊細な気持ちを持ち続ければそれぞれのシーンを理解し様々なエモーションを湧きあがらせることができます。自分を抑えるのでなく、自然に湧き出てくる感情を受け入れることだと思う」

ドラマチックではなく、控え目な表現で

 この役を演じるにあたり、オノレ監督とはどんな会話を交わしたのだろう。

「10代のころの話を沢山してくれたので、彼の当時の気持ちに共感することができました。彼は過度にドラマチックな表現というのは好まなくて控え目な表現が好きみたい。この映画は彼にとって非常に私的でかつ悲劇的な内容であるけれど、それを軽いタッチながら愛情をこめて描こうとしていたと思う。その両方を最もふさわしい表現で追求していました。

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 印象的なエピソードを一つお話しします。私が最初に撮影したのは、リュカに父の死を告げるシーンでした。自宅の2階から降りてきて、親族に“リュカが到着したってどうして教えてくれないの?”という場面です。あの時の私の演技に監督はとても心動かされた様子でした。まるで当時の彼の母がそこにいるように見えたようです」

母親役ジュリエット・ビノシュとポール・キルシェ © 2022 L.F.P・Les Films Pelléas・France 2 Cinéma・Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma

 父の死のショックを機に沈黙の世界へひきこもった当時の気持ちを監督が振り返る。

「リュカがそうであるように、僕も沈黙という場所に逃避したこともありました。実際は映画で描いたよりももっと長い期間だったんです。僕の映画には多くの台詞が登場するが、沈黙をところどころに入れることが重要だと考えている。沈黙こそ僕の映画の一番大事にしている瞬間なんだ」

若者に希望のある映画にしたかった

 また、こうした体験をへて映画監督への道を歩くことになったとも言う。

「僕は長い間ひきこもって、自分とだけ会話していた。それが自分でもたまらなくいやでした。その沈黙から抜け出られたのは、映画監督になろうと決心したからだと思います。もし父が生きていて何も起こらなかったら、父に喜んでもらうためにたぶんエンジニアのような職業についていたかもしれない。

 でも父が他界して、その後にひきこもったことが逆に監督になりたいと思うきっかけになったのだと。ブルターニュの小さな田舎町で育ったから、映画監督になるなんて夢はとても実現しないと考えていたのです」