かつて、韓国の情報機関、国家情報院は、「正恩氏に男児がいる可能性がある」と報告していた。これは、正恩氏の兄、金正哲氏が2011年2月にシンガポール、15年5月にロンドンをそれぞれ訪れた際、男児用と女児用の玩具を大量に購入していたという情報を根拠にしている。ただ、正恩氏の第2子は17~18年生まれなので事実関係が合わない。李雪主氏が初めて公式報道に登場したのは2012年7月で、ジュエ氏が第1子である可能性が極めて高い。
「金正恩氏と別の女性との間に庶子がいる」という未確認情報はあるが、事実であっても、北朝鮮でいう「キョッカジ(枝)」に過ぎず、後継者にはなれない。まだ30代半ばの李雪主氏が第3子を出産する可能性は残されているが、現時点でジュエ氏が後継者として選ばれたのは、自然な流れだったと言える。
不遇だった母の思い出
一方、ジュエ氏はまだ10歳。金正恩氏も39歳なのに、なぜそんなに後継作業を急ぐのだろうか。正恩氏の健康状態を慮った措置とも言えるが、その理由は12月3日の金正恩氏が見せた所作にある。正恩氏はこの日、平壌で開かれた全国母親大会に出席した。参加者が母親の苦労について語っている最中、正恩氏は白いハンカチで涙を何度もぬぐった。
正恩氏がこのとき、思い浮かべたのは母、高英姫の姿だっただろう。在日朝鮮人出身の高英姫氏は金正日氏の妻だったが、金日成主席にその関係を認めてもらえなかった。高氏やその子どもの正恩氏らは金日成氏と面会することもかなわず、日本海側の元山にある特閣(最高指導者の専用別荘)で隠れるように暮らした。正恩氏らが一時、スイスに留学したのも、北朝鮮の人々の視線を避ける狙いがあったとされている。
この結果、正恩氏は様々なつらい目に遭った。正恩氏が初めて公式の席に登場したのは2010年9月の朝鮮労働党代表者会だった。最高指導者になったのは、それからわずか1年3カ月後で、当初は北朝鮮幹部らから、十分な尊敬と信頼を得られなかった。これが、2013年12月の叔父、張成沢国防副委員長の処刑、2017年2月の異母兄、金正男氏の暗殺につながった。
「自らの暗い経験を自分の娘に味わわせたくない」
朝鮮労働党の元幹部は「通常、ロイヤル・ファミリーの内紛は表に出さないように処理する。金日成主席の弟の金英柱氏や、後妻の金聖愛氏が辺境にある特閣に幽閉されたのが典型だ。処刑や暗殺は、それだけ金正恩氏に余裕がなかったということの裏返しでもある」と語る。
また、金正恩氏は現在も、母親の高英姫氏の存在を公にできないでいるし、自身の幼少期も明らかにしていない。「自らの暗い経験を自分の娘に味わわせたくない」という思いが、ジュエ氏の早すぎるように見える登場につながっているのだろう。