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「クソミソです。ケチョンケチョンです」原節子が小津映画の「紀子役」に抱いていた“ある不満”とは〈小津安二郎生誕120年〉

『原節子の真実』より#1

2024/01/29
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「清く、正しく、美しい」紀子という女性

 紀子はたいてい、白いブラウスにひざ下丈のスカートという地味な服装で登場する。その姿はまるで、節子が戦争中に出演した『ハワイ・マレー沖海戦』『決戦の大空へ』のヒロインそのままだ。気弱な弟が予科練に入るよう叱咤激励し、自身もお国のためにと勤労奉仕に明け暮れ、身体を壊すまで働いた。清く、正しく、美しい、日本の乙女。紀子に原節子が重なり、さらに戦中に彼女が演じたヒロインたちが重なってくる。

 節子はこの時、29歳だった。

29歳、小津安二郎と初めて顔を合わせた時に…

 小津と初めて顔を合わせた時、節子は明るい声で、「先生がテストを30回も40回もするというのは、本当ですか」と尋ねた。すると小津は、「あなたが、ビールを20本も30本も飲むと言われているのと同じことですよ」と切り返した。

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 小津は演技者に細かい注文を出し、役柄にはめ込む演出で知られていたが、この時、節子には比較的、自由に演じさせた。それは節子が、小津の意図を的確に汲み取ったからでもあった。

小津安二郎 ©文藝春秋 

 節子が演じる「紀子」は、控え目で、恥じらいを持ち、礼儀正しい伝統的な日本女性の美徳を備えたヒロインだが、同時に臆せずハキハキと自分の意見をいう、現代的な女性でもある。

 なお、GHQは見合い結婚であるところに難色を示しつつ、製作を許可した。GHQの占領政策も5年目を迎えて、民主主義政策の推進が赤化につながることを懸念するようになり、軌道修正されつつあった。

小津が手放しで出演者を褒めることはめずらしいことだった

 小津は、節子への賛辞を撮影中から惜しまなかった。

〈原君を一言にして批評してみると、第一に素晴らしく“感”(ママ)のいい人だということであり、“素直”であることだ。このことはお世辞でなく僕ははっきり言い切れる。“晩春”のシナリオも勿論紀子の役は、最初から原君を予定して書いた。原君自身は余り乗っていない様だが、僕は彼女を立派に生かして見せる自信のもとに仕事を続けている〉(『映画読物』昭和24年9月号)

 小津が、ここまで手放しで出演者を褒めることはめずらしいことだった。節子に満足していたことは確かであろうが、また、そこには小津のもう一つのメッセージが込められていたようにも思う。節子を讃えるその言葉の裏には、後輩監督たちへの批判と対抗心があったのではないか。