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〈62キロ→39キロ〉早稲田→大手就職後「トイレで動けなくなり、会話も支離滅裂」…体重30キロ台になった20代女性が語る、摂食障害を治療をするまでの経緯

〈62キロ→39キロ〉早稲田→大手就職後「トイレで動けなくなり、会話も支離滅裂」…体重30キロ台になった20代女性が語る、摂食障害を治療をするまでの経緯

Mioenergyさんインタビュー#1

note

――モデル体型の方よりも痩せたいと。

Mioenergy 韓国アイドルたちの体重を調べてその子たちよりも軽くならなきゃと思っていました。体重が減ることが自分の自信になっていたんだと思います。

左が現在、右がダイエットをしていた頃のMioenergyさん

 SNSでダイエットアカウントを作って、体重を公開して、ダイエット仲間と支え合いながらやっていました。当時は「#ダイエット記録」みたいなのが流行っていて。

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 ダイエット仲間たちに褒めてもらえるのが嬉しくて、余計食べないようになってしまいました。

――友達に痩せすぎを心配されることは?

Mioenergy 「ちょっと痩せすぎじゃない? 大丈夫?」って言われたことはありましたね。私が「自分は太いからやだ。〇〇は痩せてていいな」みたいなこと言ったら、「正直痩せ痩せ過ぎぐらいやと思うよ」って。

 でも私は「いや二の腕も太ももも太いし、そっちの方が痩せてるよ」って。自分が痩せ過ぎなことを認めたくなくて。認めると太らなきゃいけないし、自分が間違っているってことじゃないですか。

 当時の自分が生きる価値は痩せることだけだったので、それがなくなったらどうやって生きていけばいいんだろうって。

医者からは「あなたは緩やかな自殺をしてますよ」と…

――誰かに相談したりは?

Mioenergy 一人暮らしだったので誰かに頼ることもできなくて。唯一大学の教授にだけ、メールで相談しました。「ちょっと自分がやばいんですが、どうしたらいいですか」って。そしたらすぐに病院に行きなさいと言われたけど、病院は……って躊躇して。

――その後もダイエットは続けていたんですか。

Mioenergy やっていましたね。でも体重が30キロ台に突入した頃ですかね。半年で39キロまで痩せたんです。

 その頃に、会社で工場研修があったんですけど、みんなの歩くペースについていけず、仕事中もおかしい行動があったり、会話も支離滅裂だったので、とうとう上司に呼び出されて。

当時の体重

 それがちょうど1年目の9月くらいだったと思います。「体調大丈夫? 病院行こう」って。それで病院に行くことになり、いろいろ見てもらったら、どうやら摂食障害だから精神科に見てもらった方がいいということで、専門の病院に行って。

 そこで摂食障害だと診断されました。「体重もデッドラインを超えているから入院対象ですよ」って言われて。

――命に危険がある状態だったと。

Mioenergy かなりやばかったみたいですね。「あなたは緩やかな自殺をしてますよ」って言われました。脈拍も当時、健康な人の半分の35くらいしかなくて。不整脈で、心臓が止まることもあると言われて。 

 精神疾患の中で、摂食障害が一番死亡率が高いんですよ。それで入院したほうがいいと言われたけど、入院したら何もできなくなるし、お金がかかるのも不安だったので、自宅療養を選択して。休職して治療に専念しました。

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