鬼太郎がもつ「異化効果」とは
異化効果とは、日常見慣れたものを未知の異様なものに見せることを意味する。日頃から歩き慣れた道でさえ、違った方角から眺めれば新鮮に感じられるだろう。われわれは見慣れた現実からいったん距離を置くことで、普段とは異なった視点で現実を捉え直すことができる。この異化効果が、われわれを目の前の「あたりまえ」から解放し、驚きに満ちあふれた現実世界の姿を再認識させてくれるのだ。
人間と妖怪、両属的な視点を持つ鬼太郎が仲立ちし、妖怪側の理屈をアナウンスしてくれることで、われわれは自分たちの住まう社会を相対化でき、人間社会の歪さに気づく。われわれの社会は立場の弱い人間を踏みつけにすることで成立しており、また、そうした社会の歪さを唯々諾々と受け入れてしまっている「人間の弱さ、愚かさ」が、鬼太郎の存在によって浮き彫りにされていく。
これが、鬼太郎というキャラクターに備わった異化効果の力である。
“常識”に対する水木しげるの批判精神
こうした鬼太郎の立ち位置は、世間の“常識”に対する水木しげるの批判精神に起因する。
水木しげるは1943年に召集され、出征先のニューブリテン島でマラリアを発症。闘病中に空襲を受け、左腕を失ってしまう。「お国のために死ね」と命じられ、実際に生死の境をさまよったのである。
しかし、そうした戦時中の“常識”は敗戦を機に崩れ去り、戦後には民主主義という新しい“常識”が広まる。それまで信じてきた価値観が一変する体験をしたことで、“常識”に対する批判精神が育まれたのだろう。
また、水木しげるの生来の鷹揚さも、作風に大きな影響を及ぼしている。ラバウルの野戦病院へ移送されたあと、水木しげるは“森の人”(ナマレの現地住民・トライ族)たちと交流し、パウロの名で呼ばれるようになった。“森の人”から「住居も畑も用意してやる」と提案された水木しげるは、終戦時には現地除隊で島に残り、“森の人”たちと暮らすことも考えたという。
映画には鬼太郎の生誕と精神性の源泉が描かれている
国籍や人種や民族にとらわれず、誰とでも分け隔てなく交流する水木しげるのフラットさと、“常識”に対する批判精神が交わることで、シニカルさと優しさを併せ持つ水木作品の世界観が醸成されている。だからこそ、鬼太郎は勧善懲悪なヒーローではなく、人間と妖怪の狭間に立つ存在たりえるのだ。
本作『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は鬼太郎誕生の前史が題材で、鬼太郎自身はさほどフィーチャーされていないが、妖怪の両親と血液銀行に勤める人間・水木から愛情を注がれ、両属の精神を継承する過程が劇中ではつまびらかにされており、これは間違いなく鬼太郎の生誕と精神性の源泉を描いた「鬼太郎誕生」の物語なのである。