『羅生門』『七人の侍』『私は貝になりたい』『砂の器』『八甲田山』『幻の湖』など、日本映画史に輝く傑作、怪作を生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍。『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(春日太一・著)は、橋本の生涯と創作の秘密に、生前の本人ロングインタビュー、創作ノートなど秘蔵資料の発掘、多数の関係者の証言によって迫った決定版評伝だ。発売直後から大きな話題を呼び、このほど3刷(12月14日現在、累計発行部数1万6000部)が決定した。
取材開始から12年かけて実現した本書刊行を記念して、著者の春日氏と親交があり日本映画にも造詣の深い玉袋筋太郎が、この作品と橋本忍の深すぎる魅力を語り合った!(本対談は神保町「書泉グランデ」にて12月1日実施)
玉袋 先生、『鬼の筆』発売おめでとうございます! しかも発売即増刷ですってね。すごい本だよ。俺は先生と飲み友達だから、進行状況をずーっと聞いていたんだけどさ、この本を作るのに何年かかっているんだっけ?
春日 最初の企画が通ったところからだと12年になりますね。
玉袋 生まれた赤子が小学校6年生になっちまうからね。それで全部で何ページよ?
春日 480ページです。
玉袋 かーっ、よくやりましたよ、本当に。感動したもんね。480ページ、一気に読んで、読み終わったら朝になっちゃっててさ。涙出てきたもん。12年なんて普通の書き手なら筆を折りますよ。たいしたもんだ。渾身の筆だね。これは橋本忍大先生だけじゃなくて、春日先生も鬼の筆の使い手だったってことよ。
春日 12年がかりの企画ですからね、さすがに疲れました。
玉袋 しかし、どうやって橋本先生にこれだけの取材ができたのよ。
春日 最初は個人で取材を申し込んだのですが、断られてしまったんですね。その後に「『新潮45』の連載」として編集部から申し込んでもらい、受けてくれたのがきっかけです。連載は全5回ぐらいで終えて、その1年後くらいに書籍にする予定だったのですが……話がどんどん変わってきて……最終的に新潮社が離れて困っていたところで文藝春秋に拾ってもらって、文春側がこちらの思い通りにやらせてくれたので理想的な形で出してもらえることになって。
玉袋 そりゃよかった。橋本先生は春日先生の過去の著作も読んでたのかねぇ。
春日 いや、まったく読んでないでしょう。それよりも橋本さんが興味あったのは、売れ行きでした。取材の度に掲載予定誌の「『新潮45』が今月は何部売れた」とか、「いま一番売れている雑誌はどれで、それはどれだけ売れているんだ?」とかそういう話をよく聞かれましたね。
玉袋 ほーっ。売れてる本でやりたいと。当時、「BUBKA」がめちゃくちゃ売れていたら「BUBKA」で橋本忍の連載が載っていたのか。
春日 あの当時も「一番仕事をしてみたいのが宮崎駿だ」と仰っていましたね。ジブリ映画は一本も観たことないらしいんですけど。「今もっとも売れている監督だから」という理由で。
玉袋 最高だね。宮崎駿と橋本忍が組んだら、鈴木敏夫は冗談じゃないだろうけどさ。