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二席目が急遽『芝浜』に変わった理由

 二度の映画上映のあと、鶴瓶さんの落語の一席目は映画にあわせた『かんしゃく』で、二席目は急に『芝浜』になりました。ここにきたとき、決めたのだそうです。

 驚きました。

 鶴瓶さんはホールの小部屋にこもって、ひとりで『芝浜』をくりかえしていました。その集中力たるや、すさまじい。

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 酒好きで怠け者の魚屋が、海岸で拾ったはずの財布がなくなって、あれは夢だったのかと酒をやめて、必死に働いて…。

 みなさん、ご存じですよね。女房にだまされていたのですが、苦難の末、魚屋として立派に成功して、なくしたはずの財布を渡されます。だましたことを深く詫びられ、「お酒を吞んでおくれよ」と女房に言われるのですが、吞まずに「また、夢になるといけねえ」という有名な噺。

「もっともっと『芝浜』がうまくなって、もどってくる」

 映画のあと、鶴瓶さんのトークがはじまりました。

――映画館の経営は大変なのに、コロナになって、二度も火事になって、それでも館主はあきらめなかった。おとうさんもすごい。跡をつぐ息子さんもいる。それでさっき、『芝浜』をやろうと決めた。これから、いろんなところで『芝浜』をやる。もっともっと、うまくなって、みんなの前にもどってくる…。

 魔法のような語り口に、お客さまの視線が集まります。みんなの微笑みがひろがって、ひとつになりました。

樋口家三代。右から樋口智巳さん、父の昭正さん、息子の直樹さん ©西村忠

――芝浜は江戸なので、大阪の人はやらない。それでも大好きな演目なので、正月休みにハワイでおぼえようとした。だから、芝浜ではなく、ワイキキの浜だと思ってほしい。はじめて舞台でやるので、うまくやれないかもしれない。でも、一所懸命にやります…。

 鶴瓶師匠の『芝浜』、ほんとうによかった。

笑福亭鶴瓶から贈られたサイン

 再出発の大きな記念になりました。夢ではない昭和館にきてもらえるように、わたしも精進しようと誓いました。